卓球王国 2022年1月21日 発売 vol.298
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「独創の剣」で中国に立ち向かう伊藤美誠の宣言。「世界選手権は優勝します」

 

「リオ五輪のあとに平野選手が勝っていく姿、

アジア選手権でも私が負けたあとに

3人の中国選手を倒して優勝していく姿を見て、

自分自身を変えようと思いました」(伊藤)

 

東京五輪で混合ダブルスで金メダルを獲得した伊藤美誠(スターツ)だったが、優勝を狙った女子シングルスでは銅メダルに終わった。日本女子としては史上初のシングルスのメダル獲得だったが、彼女がこぼした涙は「優勝できなかった悔し涙」だった。

小学6年生の時に東京五輪招致が決まり、「東京で金メダル」と胸に誓ったが、子どもの夢はそのまま夢で終わるもの。ところが、怪物・伊藤美誠は夢ではなく、現実の目標として、東京の金メダルに突き進んできた。「東京五輪までのことしか考えていなかった。パリのことは考えていなかった」と卓球王国10月21日発売号で語っている。

それは彼女自身だけでなく、「チーム伊藤美誠」の一員でもある松崎太佑コーチも「終わってすぐにパリを目指すとは言えない。東京だけを見ていたからやりきることができた」と語る。母・美乃りも「オリンピックが終わった瞬間、寂しかった。喪失感でいっぱいでした」と感じた。

卓球王国で伊藤美誠が語ったのは同期の平野美宇(日本生命)の存在だった。この二人は小学生のときからのライバルであり、二人でダブルスを組み、ワールドツアーの史上最年少優勝ペアになったこともある。

5年前のリオ五輪では、伊藤が団体のメダリストになり、平野はリザーブとして観客席で女子チームの活躍を見ていた。平野はリオ五輪後に一念発起し、翌年2017年のアジア選手権では中国選手を3連破し、優勝。世界の卓球界では「ハリケーン平野」と言われるほどの活躍を見せた。加えて、平野はその年の世界選手権個人戦では48年ぶりの女子シングルスのメダリストになった。

「リオ五輪のあとに平野選手が勝っていく姿、アジア選手権でも私が負けたあとに3人の中国選手を倒して優勝していく姿を見て、自分自身を変えようと思いました」と伊藤はインタビューで答えている。

その頃から「天才肌の伊藤美誠」に努力という言葉が加わっていく。

松崎コーチは証言する。「もともと練習量はすごく少ない選手で。多くて3時間、少ない時は1時間で終わる選手だった」「2017年頃に3時間が4時間くらいに増えて、毎年1時間ずつ増えていく」。

伊藤は気合が入り、自分も納得いかないと練習は深夜の11時、12時を超えることもある。

母・美乃りも娘・美誠以上に個性を放っている。「小さい頃から美誠自身が自分で決めて、自分で痛い目にあって、自分で責任を取る。自分で歩かせて自分で怪我をする。怪我する前に止めたことはないです」「『やってみたらいい』『なんでそう思うの?』と聞いて、強い意志があったら『やったらいいよ、やってみなよ』と言います」(卓球王国10月21日発売号。母・美乃りのインタビューから)。

卓球では、世界の頂点に立つためには中国の壁を乗り越えなければいけない。

日本では1980年代から中国選手やコーチが来日し、低迷していた日本卓球に中国的な練習や技術が輸入された。その後の日本は多かれ少なかれ中国卓球の影響を受けている。しかし、「中国卓球のコピー」では本家本元に勝てないのも事実。伊藤美誠のような個性的なプレースタイルこそが、中国の長城を崩していく切り札になるのかもしれない。

東京五輪閉幕の翌日から伊藤美誠は気持ちを切り替え、「次の世界選手権で勝つ」という目標を立てた。「とにかく中国選手に勝って優勝したい。シングルスとダブルスの2種目で全部勝ち切って優勝します!」とインタビューの最後で伊藤は力強く語った。

世界選手権ヒューストン大会(個人戦)は11月23日に始まる。中国選手に勝つことに価値を見出す伊藤美誠は「独創の剣(つるぎ)」を手に世界戦に向かう。

 

母・美乃りの言葉。「シングルスの3位になっても美誠にとってはその場所に立つことは苦しいことだったのかもしれませんね。プロの世界だから頂点でなかったら満足できないんです」(卓球王国12月号・伊藤美乃りインタビューより)

 

卓球王国10月21日発売(12月号)発売中!

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