東京五輪で混合ダブルスで金メダルを獲得した伊藤美誠(スターツ)だったが、優勝を狙った女子シングルスでは銅メダルに終わった。日本女子としては史上初のシングルスのメダル獲得だったが、彼女がこぼした涙は「優勝できなかった悔し涙」だった。
小学6年生の時に東京五輪招致が決まり、「東京で金メダル」と胸に誓ったが、子どもの夢はそのまま夢で終わるもの。ところが、怪物・伊藤美誠は夢ではなく、現実の目標として、東京の金メダルに突き進んできた。「東京五輪までのことしか考えていなかった。パリのことは考えていなかった」と卓球王国10月21日発売号で語っている。
それは彼女自身だけでなく、「チーム伊藤美誠」の一員でもある松崎太佑コーチも「終わってすぐにパリを目指すとは言えない。東京だけを見ていたからやりきることができた」と語る。母・美乃りも「オリンピックが終わった瞬間、寂しかった。喪失感でいっぱいでした」と感じた。
卓球王国で伊藤美誠が語ったのは同期の平野美宇(日本生命)の存在だった。この二人は小学生のときからのライバルであり、二人でダブルスを組み、ワールドツアーの史上最年少優勝ペアになったこともある。
5年前のリオ五輪では、伊藤が団体のメダリストになり、平野はリザーブとして観客席で女子チームの活躍を見ていた。平野はリオ五輪後に一念発起し、翌年2017年のアジア選手権では中国選手を3連破し、優勝。世界の卓球界では「ハリケーン平野」と言われるほどの活躍を見せた。加えて、平野はその年の世界選手権個人戦では48年ぶりの女子シングルスのメダリストになった。
「リオ五輪のあとに平野選手が勝っていく姿、アジア選手権でも私が負けたあとに3人の中国選手を倒して優勝していく姿を見て、自分自身を変えようと思いました」と伊藤はインタビューで答えている。
その頃から「天才肌の伊藤美誠」に努力という言葉が加わっていく。
松崎コーチは証言する。「もともと練習量はすごく少ない選手で。多くて3時間、少ない時は1時間で終わる選手だった」「2017年頃に3時間が4時間くらいに増えて、毎年1時間ずつ増えていく」。
伊藤は気合が入り、自分も納得いかないと練習は深夜の11時、12時を超えることもある。
母・美乃りも娘・美誠以上に個性を放っている。「小さい頃から美誠自身が自分で決めて、自分で痛い目にあって、自分で責任を取る。自分で歩かせて自分で怪我をする。怪我する前に止めたことはないです」「『やってみたらいい』『なんでそう思うの?』と聞いて、強い意志があったら『やったらいいよ、やってみなよ』と言います」(卓球王国10月21日発売号。母・美乃りのインタビューから)。
卓球では、世界の頂点に立つためには中国の壁を乗り越えなければいけない。
日本では1980年代から中国選手やコーチが来日し、低迷していた日本卓球に中国的な練習や技術が輸入された。その後の日本は多かれ少なかれ中国卓球の影響を受けている。しかし、「中国卓球のコピー」では本家本元に勝てないのも事実。伊藤美誠のような個性的なプレースタイルこそが、中国の長城を崩していく切り札になるのかもしれない。
東京五輪閉幕の翌日から伊藤美誠は気持ちを切り替え、「次の世界選手権で勝つ」という目標を立てた。「とにかく中国選手に勝って優勝したい。シングルスとダブルスの2種目で全部勝ち切って優勝します!」とインタビューの最後で伊藤は力強く語った。
世界選手権ヒューストン大会(個人戦)は11月23日に始まる。中国選手に勝つことに価値を見出す伊藤美誠は「独創の剣(つるぎ)」を手に世界戦に向かう。
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