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一気に日本のエースに成長、パリパラへ突き進む – 宇野正則

【パラ卓球ファイル】宇野正則[M.S.T]うの・まさのり/クラス2
19・21・22年全日本パラ優勝、22年フィンランドパラオープン優勝
22年フランスパラオープン3位(銅メダル)、22年タイパラオープン3位(銅メダル)

 

全日本パラのクラス2(車椅子)で3連覇中の宇野正則。82年、兵庫県尼崎市生まれで、4歳頃から滋賀県草津市で育った宇野は、守山北高校時代には全国高校サッカー選手権滋賀県大会で決勝進出。しかし22歳の時に交通事故で頚椎(けいつい)を損傷して四肢に麻痺が残り、車椅子生活を余儀なくされた。もともとスポーツが好きだった宇野は、車いすツインバスケットボールなどをやっていたが、ツインバスケの試合時にたまたま友人が卓球の練習をしており、その時にパラ卓球を知ったのをきっかけに卓球を始めた。

いざやってみると卓球にハマった宇野。生来の負けず嫌いが顔を出した。「やるからには上を目指したい」と、17年に滋賀県を拠点とした車椅子チーム「M.S.T」を結成した。「Mが正則、Sが共同立ち上げメンバーである吉田真太郎、Tが卓球でしたが、後付でM.S.TはMake progresS Team(進歩する、こうじょうするチーム)の略としています(笑)」(宇野)。

★M.S.T 車椅子卓球クラブ ウェブサイト

M.S.Tは本気で卓球に取り組むチームとして、コーチや理学療法士などとともに活動を続けている。京都在住の岩隈美穂などの車椅子プレーヤーも練習に参加したり、逆に大阪の車椅子卓球チーム・ファンタジスタの練習に参加することもある。

宇野は17年11月に初参戦した国際クラス別パラ選手権(現・全日本パラ)ではベスト8、翌年はベスト4,そして19年には初優勝。クラス2を長年牽引してきた東京パラリンピック代表の皆見信博を準決勝で破り、決勝では宇野と近い時期に卓球を始めた松尾充浩に勝利しての日本一だった。以降、国内で3連覇し(20年は大会中止)、国際大会でも22年9月フィンランドオープンで優勝するなどの活躍を続け、世界ランキングを23位(1月現在)まで上げた。

ITTFフィンランドパラオープン大会(9月9~11日/フィンランド・ラハティ)シングルス入賞者。宇野(中央)はシングルスで優勝、男子ダブルスMD4では宇野(左から2番目)とのペアで準優勝(写真提供:日本肢体不自由者卓球協会

「パリパラリンピックに出場し、メダルを獲得するのが目標です。出場のためにはランキングを10位以内に上げる必要があるため、23年は勝負の年で、6〜7大会に参加予定です。しかし遠征費が自費で苦労しており、所属会社(㈱コスモトレードアンドサービス)に交渉したり、県のオリパラ支援を受けたりしています」(宇野)

181cmの長身で腕のリーチが長い宇野は、ネット際や遠いボールに対して強さを発揮するが、海外トップ選手はみな大柄で、大きなアドバンテージにはならない。「水野聡コーチが海外選手の情報を調べてくれたり、多球練習のメニューを考えてくださっている。コーチのおかげで成長できた。徐々にランキングが上がって自信もつき、パリの可能性を感じている。シングルスに加えて、松尾さんとのダブルスも出場したい」(宇野)。

卓球を始めた時期も年齢も近い松尾充浩(ファンタジスタ・大阪)とは、良きライバルであり信頼できるダブルスのパートナーだ。宇野・松尾ペアは、22年全日本パラ選手権・男子ダブルスクラス合計4以下で優勝した(写真)

また、冷静な試合運びも宇野の強さの一旦を担う。「自分ではメンタルが強いとは思っていない。試合前は緊張しますよ。でも試合に入れば自然に集中できます」。

クールな試合ぶりながら人一倍向上心のある宇野は、パリへの道を邁進し続けている。

フォア裏ソフト・バック粒高の宇野。右手は握力がないため、ラケットはバンドで手に固定している。長いリーチを生かして丁寧につなぎつつ、随所でフォア強打を決める

 

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