東京パラリンピック女子シングルス、クラス11(知的)で、予選リーグを2位通過し、準決勝に臨んだ伊藤槙紀(WR10)だったが、フェルネ(フランス/WR16)にストレートで敗れた。フェルネは予選リーグで古川佳奈美を破った選手で、伊藤と同じく異質スタイル。伊藤は第3ゲームにジュースに持ち込むも、ストレートでの敗戦となった。
これで伊藤は銅メダル獲得。2000年シドニーパラリンピックの藤原佐登子(銀)、工藤恭子(銅)以来となる日本勢のメダル獲得という快挙だ。
長く日本女子クラス11のトップを走ってきた伊藤だったが、パラリンピックへの道は険しいものだった。シドニーパラ当時に15歳だった伊藤は、すでに国際大会に出場してパラリンピックを目指していた。しかし出場選手を決める99年パラアジア選手権は年齢制限が設けられて、伊藤は出場できないという情報があったため、大会参加を見送り。しかし実際は年齢制限はなかったことが後にわかった。現在のようにネットが普及しておらず、情報が少なかった時代の悲劇だった。また、シドニーパラ直後に、バスケットボールの知的障がいで優勝したスペインチームのメンバーの多くが健常者であったことが内部告発によって明るみに出た。これをきっかけに、04年アテネ五輪では、卓球のクラス11の出場枠がわずか4に減り、08年北京大会では実施種目から外された。12年ロンドン大会は復活したが出場枠は6。このような不運な期間があったため、伊藤が悲願のパラリンピック出場を果たしたのは、32歳の16年リオ大会となった。リオでは予選リーグ敗退。そして2大会目となる東京大会では、予選1勝2敗ながらゲーム率計算で2位通過しメダル獲得と、運も味方につけた。しかし、これまでの苦労の道筋を考えれば、「ようやく報われた」とも言える銅メダルだろう。
【女子シングルス クラス11(知的)準決勝】
フェルネ(フランス) 8、6、10 伊藤槙紀
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