緊急事態宣言下で「いつもと違う全日本」が特別な雰囲気の中で進んでいる。
今回で80回目を迎える2021年全日本卓球選手権大会は大阪で開催され、主管団体である大阪卓球協会は徹底した新型コロナウイルス対策を講じている。隣のコートからボールが入ってくれば、副審が素早く手袋をはめて、投げ返し、すぐに手袋を備え付けのゴミ袋に破棄する。試合後には卓球台やスコアボードをしっかりとクリーニング。
参加選手に対しても、卓球台の上で手を拭かない、シューズの底を汗の付いた手でぬぐわない、そして大きな声でのガッツポーズもできるだけ抑えるようにする、という ガイドラインを設けている。
コート周りの除菌対策は当然だろうが、選手の「慣習」に対するガイドラインは、選手自身に微妙に影響を与えている。
卓球を知らない人からすると、「なぜ卓球選手は台の上で手を拭くのだろう」という疑問を抱くらしい。これは、タオリング(6本ごとにタオルで汗をぬぐうことができる)ができないとき、選手は噴き出す汗をぬぐう手だてがないからだ。汗をかいた手でラケットを握ると微妙に滑る。
最初のうちはウエアやショーツで拭くのもいいが、ゲームが進んでいけば、それさえも濡れた状態になる。そこで、卓球台の上で手の汗をぬぐう。ボールがバウンドする、エンドライン付近では、ボールが汗でスリップしてしまうために、選手たちはできるだけバウンドしないネット付近まで行って、台の上に手を置き、汗をぬぐう。
これは選手にとっての「間を置く」ルーティンでもある。相手を見ながら自分を冷静にさせ、作戦を考える一瞬だ。シューズの底を手でぬぐうのは、シューズが滑らないように手の汗を付けたり、卓球台のときのように手の汗を取っているもうひとつのルーティンとも言える。
そして、もっとも重要なのは得点したときのガッツポーズだ。張本智和の「チョレイ」や、福原愛さんの「サーッ」は有名だが、これは慣習を越えたメンタルのルーティンだ。選手たちは大事な局面で弱気になりがちな自分を鼓舞する。そして得点したときに思わず「ヨシッ」と拳を握り、気合いを外に放出する。
それはさしずめ大相撲の力士が制限時間いっぱいのとき、力水を得たあとに自分の体や顔を平手でピシピシと叩く所作にも似ている。体の中の気合いを外に出すと同時に、さらに自らのアドレナリンを高めているのかもしれない。
卓球台を拭く動作というクールダウンと、ガッツポーズを繰り返しているのが卓球の選手たちなのだ。
張本のガッツポーズは「チョレイ」が一人歩きして話題になったが、普段はおとなしい物静かな少年が自分自身を最大限に鼓舞し、相手を倒しにいくための「声出し」になっている。これについては、世界選手権の優勝監督であるスウェーデンのグレン・オースト氏も「彼の才能に何の疑いもない。あとはメンタルをどうコントロールするのか。ガッツポーズにエネルギーを使うべきではない」と指摘したこともある。ポーカーフェイスで淡々と試合をする選手もいるが、自分を鼓舞しながら自分のリズムを作っている選手がほとんどだ。
昨日のベスト8決定戦(6回戦)、御内健太郎(シチズン)戦で、張本は幾度となく主審に声を出すことを注意されてしまった。しかし、相手への威嚇行為以外のガッツポーズはルールでは禁止されていないし、今大会の「ガッツポーズ自粛」はあくまでも「要請レベル」だった。
1、2回戦では選手たちも静かだった。抑制されていた。ところが、4回戦、5回戦と試合が進んでいくと、彼らの興奮水準はマックスになり、ガッツポーズを抑えることはできなかった。
張本対御内戦では、張本は相手にマッチポイントを許す窮地に陥るほどの大接戦となった。闘争本能むき出しでで相手と対峙しているために、張本にしてもルーティンを抑制する術はなかった。
ガイドラインは理解できるが、このような選手たちに「ガッツポーズをやめなさい」と言うことは、「フルスイングをしないで8割くらいで抑えなさい」と言うようなものだ。
張本は大苦戦の末の勝利直後に、主審に対して深々とお辞儀をした。
彼自身も注意されていることを申し訳なく思っていたが、選手としての闘争本能を止めることはできなかったのだろう。
ウイルス対策は十分に理解する。主審の忠実な注意も当然だろう。しかし、選手の本能を抑制することはできない。たびたび注意することが試合を壊さないだろうかと心配になることもある。
選手たちは、歴史あるこの大会での成績を、その後の1年間背負っていく。「特別な全日本」だからこそ試合に入り込み、ガイドラインを遵守することが困難になる。
「いつもと違う全日本」ではあるが、張本たちをはじめとする選手たちが「いつもと同じように」戦うことに、少しばかり寛容になってほしいと思う。
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