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「ハリケーン」復活。平野美宇の選考会V「誰に勝ちたいというよりも、レベルの高い全員に勝たなければ代表になれない」

世界選手権団体で
メンバーからはずれた五輪メダリスト。
平野美宇が覚悟を持って挑んだ選考会

久しぶりに「強い平野美宇」を見た。パリ五輪選考会・全農カップTOP32船橋大会は平野美宇(木下グループ)が復活の狼煙(のろし)をあげ、五輪団体メダリストの存在感を示した大会となった。
決勝で2回目の選考会で敗れていた早田ひな(日本生命)に勝った平野は、優勝後のコメントでその喜びを語った。
「トップ32では3回目で初めて優勝できて、1回目(LION CUP TOP32)と2回目(全農カップTOP32福岡)は悔しかったので3回目でようやく優勝できてうれしいです。早田選手とは今年たくさん対戦していて、準決勝が終わってからどのように戦おうかすごく考えました。1ゲーム目はすごく良かったんですけど、挽回されてしまって、そこで気持ちが折れずに2ゲーム目、3ゲーム目を戦えたことが一番良かったかなと思います。決勝で負けていてもまだいけると思えたので、そこの気持ちの強さが折れずに、最後まで自分を信じるプレーができたことがよかったと思います」
16歳の時、2017年1月の全日本選手権で初優勝を飾り、その後のアジア選手権では中国の3選手を連破し、日本選手として21年ぶりの優勝。同年の世界選手権のシングルスでは日本選手として48年ぶりのシングルスのメダルを獲得した。早成の大物は歴史を塗り替え、打球点の速い連続攻撃は「ハリケーン」と称された。

その当時の自分を、平野は2021年1月号の「卓球王国」でこう語っている。
「2016年のリオ五輪にリザーブで行かせてもらって、その後の1年、2年というのはメンタルもとても調子が良かった。前回インタビューを受けた時には、まさにそういう時だったので、『人生、上に上がるだけだ』という感じだったけど、今思えば、『人生はそんなに簡単なものじゃないよ』とその時の自分に言いたいです。その時には勢いしかなくて、自分の中に自信があふれていました」
そんな平野が不調の波に次第に呑み込まれていくのは、2017年の世界選手権以降だ。
「世界選手権以降はメダルを獲ったのだから、この選手には負けてはいけないと思いすぎて、敗戦をネガティブに考えるようになっていました」(卓球王国2021年1月号より)
そうこうしているうちに、東京五輪の代表選考レースが始まっていた。2年にも及ぶ激しい戦いは2020年1月の日本代表発表の直前まで続いたが、平野は2019年11月の北米オープン、12月のITTFワールドツアー・グランドファイナルの結果によって僅差でシングルス枠を逃した。「(代表が決まる)最後の3カ月間は『卓球が楽しくない』と思いました」(2021年1月号)
しかし、東京五輪の団体戦メンバーになった平野は、気持ちを切り替え、団体の銀メダル獲得に貢献。試合後のミックスゾーンで「最近の3年間くらいは正直卓球があまり好きじゃなくて、東京(五輪)が終わったらやりたくないと思っていたけど、今回はこうして戦えてすごく楽しくて、まだまだ卓球をやりたいと思える。卓球を続けてきて良かった」と笑顔で語った。
その後、世界選手権団体戦の選考を兼ねていた2022年3月のLION CUP TOP32の準々決勝で敗れ、五輪メダリストである平野は今年9月に行われた世界選手権成都大会の出場の機会を失った。全日本チャンピオン以外の団体メンバー4人は、一発勝負のトーナメントで代表を決めるという、いささか乱暴な選考方法ではあった。それまでの実績や世界ランキングを度外視したやり方であり、なおかつ日本女子のトップ層の厚さゆえに、平野は突破できずに世界行きの切符を逃した。

9月の全農カップTOP32福岡大会でも準々決勝で早田ひなに敗れ、不本意な結果に終わった平野。
2016年リオ五輪で日本のメダリストたちを観客席から見つめ、決意を固め、17年からは日本女子の主力として常にスポットライトを浴びていた平野美宇は、成都での世界選手権期間中、世界の舞台に立てない悔しさを振り払うように練習に打ち込んだ。
そして迎えた3回目の選考会は平野にとって決して負けられない大会だった。ところが2回戦の横井咲桜(四天王寺高)戦でいきなり1−3とゲームをリードされ、窮地に陥ったが、なんとか踏ん張り、逆転した。

 

決勝で同学年の早田と対戦した平野

 

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