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仲村渠功

恩師を忍ぶ 

高校時代の恩師が先月81才で永眠されました。今こうしてチリで卓球指導の活動が出来るのも、恩師馬渡秀人先生が大きく影響していることは言うまでもありません。勿論 その後も素晴らしい方達との出会いがありましたが、僕の卓球人生がスタートした原点でした。

60才の定年を機に独立行政法人・国際協力機構「JICA」のシニア海外ボランティアの公募を受け、合格が決まって活動直前の2008年3月、NHKラジオ深夜便”ないとエッセー”の番組で「あざやか!卓球人生」のタイトルで4夜連続放送した時にも先生の話をした事がありました。

今から50年前、高校の部活で先生と出会った時はカットマンで、8ヶ月間訓練したカット守備型から攻撃型への変更を言われました。当時指導を受けていたバックカットで、左から右に曲がるカットが上手く出来ず、肘が変形しているため右から左に曲がるカットが良くないとの事でした(今なら癖のあるカットとして効果ある技術です)。 変更のもう一つの理由は、ストップされた台上のボールをバックハンドで打つのが得意だったからです。当時の日本の卓球はペンホルダーが主流でフォアハンド主体型が殆どで、シェ-クハンドはカット守備型と決まっていた頃の時代です。カットから前陣両ハンド攻撃に変え全日本選手権ジュニアの部で優勝でき、更に卓球人生の方向が決って行ったように思えます。

東京教育大学時代は教育学部の体育を専攻され卓球部に所属し、カットマンだった先生は全国教職員大会にも出場していました。学生時代は関東学生リーグのクラスこそ違い、同年代だった荻村伊智朗さんの事も良く話されていました。そんな馬渡先生の指導の発想は大変ユニークでした。

先生から受けた人生の教訓はこれからも受け継いでいきたいと思います(合掌)。

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