東京五輪は開幕直前まで、過去の差別発言やいじめの問題などで、すったもんだの様相を呈している。
4連休ということで行楽地は人混みもすごい。そういえばこの間まで都内ではプロ野球でも観客を入れていた。確かに、東京の感染者数は急激に増加しているが、この人々の行動と、五輪が無観客になった状況が理解できない。
SNSの発達と日常的に使われることで情報(正しくないものも含め)が驚くスピードで発信され、過去の情報が掘り起こされ、拡散されていく。明らかに昔のオリンピックの報道とも違うし、情報や映像の切り取り方や分析もどこかおかしい。
人流を減らすための無観客試合は理解できる。ただ、「観客がいなくても五輪で試合をするのは同じ」という意見には異論がある。
オリンピックは、たとえば世界選手権とも明らかに違う。世界選手権やツアー、全日本選手権の観客はほとんどが卓球ファンで、卓球を見たことがないという一般のファンは少ない。
しかし、オリンピックは逆だ。卓球ファンはいるが、ほとんどが卓球を初めて見るような観客なのだ。そうすると、早めの1、2回戦のラウンドでも、少しラリーが続くだけで、会場は大騒ぎとなり、選手たちも試合途中であきらめることなく、最後の一本まで全力でプレーする。よって、信じられないファインプレーや逆転勝ちなどの番狂わせも起こる。
1回戦で負けた選手に対しても大きな拍手が会場で沸き起こる。なんとも心地よい、なんとも暖かい雰囲気の会場となる。それがオリンピックなのだ。卓球の競技会場だけではなく、すべての会場で同じような空気に包まれる。
だからこそ、一度その舞台に立った選手はまたその五輪の舞台に立ちたいと思う。メダルを狙う狙わない関係なく、オリンピックは選手を酔わせてしまう。
この陽性者増加の感染状況の中で、大会が開催できるだけでもありがたく思え、と言われればその通りなのだが、オリンピックという大会は世界の最高峰の試合だけでなく、観客がいてこそ、オリンピックなのだ。100人でも、1000人でも会場に観客がいてほしかったと今でも思っている。
日本代表たちは地元日本の開催であるにも関わらず、応援する観客のいない会場で戦う。こうなればもはや会場は日本代表にとって順風でも逆風でもない。無風状態の中での戦いだが、彼らの試合を何百、何千万人の人が見ている中で、卓球ニッポンの威信をかけて、というよりも5年間待ち続けた自分のために戦ってほしい。
かつての日本代表は、大会前の壮行会で「メダルを目指して頑張ります」と言いながらも、その言葉に現実味がないことは選手自身もわかっていた。世界ランキング30位、40位の選手は正直、メダル獲得の可能性は低いし、プレッシャーも小さなものだっただろう。
しかし、今回はすべての種目で日本選手はメダルの可能性がある。この10年間で中国に次ぐ卓球大国になったのだ。
2000年シドニー五輪を振り返ってみよう。
21世紀のミレニアム五輪で、南半球のオーストラリアは冬ではあっても、温かい陽光が心地よかった。取材しながら試合そのものを楽しんでいたのは、今思えば日本代表がメダルに絡まない緊張感のなさから来ているものだったかもしれない。
当時はまだネット配信もなく、デジタルカメラも普及していない。ネット速報を始めるようになるのは次の北京五輪からである。
アトランタ五輪で金メダルを独占した中国の強さは際立っていた。 アトランタ同様、 4個の金メダル、合計8個のメダルを獲得。
そういった大会の中で、ベテランのワルドナー(スウェーデン)がひとり気を吐いた。しかし、100年にひとりの卓球キングと呼ばれたワルドナーのオールラウンドプレーを決勝で食い止めたのは、まるでコンピューターのように正確無比な攻守を見せた孔令輝だった。
中国男子のシェークハンド攻撃スタイルとして初の五輪金メダリストに輝いた孔令輝はその後の中国のシェーク攻撃型の原型とも言えるプレースタイルを披露した。それまでの中国の攻撃選手は固いブロックを基本にして、フォアの攻撃を武器にするペンホルダー攻撃型が主流で、その代表が郭躍華、江加良であり、劉国梁だった。
ミスをしないブロックと確率の高いフォアのドライブを軸にする孔令輝の中国式シェーク攻撃は、王励勤(2001年世界チャンピオン)、張継科(2012年五輪優勝)、馬龍(2016年五輪優勝)などに継承されていく。
一方、女子シングルスでは王楠が優勝し、初の両面裏ソフトドライブ型が優勝し、その後、張駘寧、李暁霞、丁寧というドライブ型に受け継がれていく。
2004年アテネ五輪では、中国独占の長城に風穴を開けた男がいた。韓国の柳承敏だ。伝統的な韓国式のペンホルダードライブ型で日本式ラケットに表面に裏ソフトラバーを貼っていた。
中国式の両面にラバーを貼り、裏面ドライブを放つ中国の王皓と決勝で対戦。事前合宿から王皓対策を行い、ナチュラルに変化する裏面ドライブへの対処法も身につけていた柳承敏が快勝した。
女子シングルスで優勝した張怡寧はその後の「女子卓球の男性化」の先駆者として圧勝で金メダルを獲得した。
メダル12個のうち、男子ダブルスのデンマークペア(メイスとツグウェル)以外はすべてアジア勢が獲得。世界卓球の趨勢は完全にアジアとなり、「卓球はアジアのスポーツ」と評されていく。
それはヨーロッパと違い、アジアの幼少期からの激しい訓練の影響も大きかった。卓球ではレベルの高い訓練を長年積み重ねないとトップクラスにいけない。多球練習のようにボールを打つ絶対量が増えないと技量のレベルが上がっていかないという競技特性が、ヨーロッパとアジアの明暗を分けることになる。
日本はと言えば、卓球アイドルだった福原愛が15歳で五輪デビューを果たした。しかも、本番で見事にベスト16まで進み、日本の卓球がマスコミから注目される存在になった。
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