2008年北京五輪では、中国のメダル寡占状態を打ち破るべく、競技種目をダブルスの代わりに団体に変えた。団体であれば中国は1個のメダルしか獲得できない。その狙い通り、男子団体でドイツが決勝に進み、銀メダルを獲得した。
中国はアテネで失った男子シングルスの金メダルをペン攻撃型の馬琳によって奪い返した。
2000年以降、日本の男子は水谷隼、岸川聖也という若手がドイツでの卓球留学を経て、世界水準の卓球スタイルを身につけ、力をつけていった。彼らを育て上げたマリオ・アミズィッチの存在は大きい。
1997年に、日本卓球協会がソーレン・アレーン(スウェーデン)を招聘し、日本の強化システムを変えようとしたが賛同を得られず、志半ばで日本を去った姿を見ていたマリオは、母体の批判や影響を受けないようにドイツに有望な若手を集め、プロ集団に放り込み鍛え上げる方法をとった。
それが日本の卓球を変え、発掘した才能を開花させる方法だった。
北京五輪では男子団体と女子団体で「この試合に勝てばメダル獲得」という局面まで力をつけていた。まだ男子のドイツ、女子の韓国には実力不足だったが、日本は確実にメダルに近づいていた。
2012年ロンドン五輪は記念すべきオリンピックとなった。
女子団体で悲願だった五輪のメダル(銀メダル)を獲得した。4年間かけて、母体、協会は選手たちを積極的にプロツアーに派遣し、世界ランキングのためのポイント獲得に動いた。他協会からは日本選手たちの経済的なバックボーンが羨望の的になり、「日本はマイレージ選手」と揶揄された。しかし、村上恭和監督は選手たちの競争心をあおりつつ、チームランキングを上げ、シード権を獲得し、チームをメダルに導いた。
準決勝のシンガポール戦に快勝し、中国に完敗はしたものの、日本は銀メダルを獲得。平野早矢香・福原愛・石川佳純の三人娘はメディアに引っ張りだことなり、卓球ブームを巻き起こした。
一方、男子団体と水谷のシングルスはメダル候補だったが、敗戦を味わい、日本に帰国直後もヒロイン扱いの女子団体と対照的に見向きもされず、選手たちやのちに監督なった倉嶋洋介コーチも「天国と地獄」のような扱いを受けた。しかし、その悔しさが4年後に生きることになる。
また、2011年に世界チャンピオンになっていた男子シングルスの張継科が五輪金メダリストとなり、男子卓球はチキータよりも強烈な台上バックドライブからの展開、YGサービスと呼ばれる逆横回転系のサービスからの展開など、技術革新が進んでいった。
女子シングルス決勝では李暁霞と丁寧の同士討ちとなったが、途中、丁寧のサービスが2度フォールトを取られ、涙ながらにプレーする丁寧が敗れた。のちにその無念を晴らすも、「自分の感情が揺れ動いた。未熟だった」とインタビューで漏らすなど、「何が起きるかわからない五輪」を実感させるものだった。
2016年リオ五輪。日本は史上初のシングルスでのメダル獲得を水谷が達成し、男子団体ではドイツに快勝し、決勝の中国戦でも水谷が許昕を破り、中国を追い詰めた。競り負けたダブルス(丹羽・吉村)が勝っていれば、ラストで水谷が張継科と対戦する予定で、絶好調・水谷であれば勝ったのではないか、と言われている。しかし、日本には優勝するためのあと1本が足りず、中国は敗れないための1本の有利性があった。
女子団体はドイツに悔しい敗戦を喫したものの、日本はメダル決定戦でシンガポールを下して2大会連続のメダルを獲得。シングルスではメダル候補の石川が早くに敗れ、福原はメダル決定戦に進むが惜しくもメダルを逃した。
日本のライバル韓国が世代交代の時期で、男子のドイツも力を落としていたのは日本の躍進の外的要因だったが、日本選手の個々の実力も確実に上がっていた。
中国の強さを考えれば、昔のような「日中の二強時代」とは言えないが、日本はジリジリと中国の近づいていた。
さていよいよ明日9時、東京五輪の卓球競技のスタートだ。
日本代表はどんな戦いを見せ、歴史に新たなページを加えるのか。
明日から始まる新種目の混合ダブルスでは、同じ豊田町スポーツ少年団出身の水谷隼と伊藤美誠の二人が組む。日本ペアは激戦ブロックに入っているが、逆に初戦からギアを上げてメダル獲得に突き進むだろう。
この種目で良いスタートを切れば、日本選手団は流れに乗ることができる。この1年間、つらい時間を過ごし、厳しい生活を強いられた日本代表が解放される瞬間が迫っている。日本中に、卓球の素晴らしさ、スポーツの素晴らしさ、オリンピックの価値と尊さを示してほしいと願う。
日本代表よ、胸を張ってコートに立とう!
観客席から声が聞こえなくても、日本中であなたたちのプレーに応援を送るはずだ。
<卓球王国発行人 今野昇>
ツイート