卓球メーカーが若い選手を契約するのはその選手の「将来への投資」である。卓球メーカーには元一流選手も多く働いていて、「一流の才能」を見抜く目を持っている。彼らはたとえば日本ならば全日本選手権、ホープス・カブ・バンビの試合を見ながらスカウトしていく。
ヨーロッパではヨーロッパユース選手権や世界ジュニア選手権だ。そこでメーカーの人たちは、その選手のボールタッチや勝負強さというメンタル、そしてフィジカルの強さなども加味しながら、若い選手を発掘していく。
ドイツのドミトリ・オフチャロフは若い時からよく練習をする選手だった。しかし、卓球メーカーの間でも、このオフチャロフという選手が将来チャンピオンになるとか、五輪でメダルを取るほどの選手になると予想していた人は数少ない。
彼がまだジュニアの時、ジャパンオープンで来日した際でも、コートが空けばすぐに誰かしらを捕まえて練習をしていたのが印象的だった。まだジュニアではあっても、ハードワーク(労働集約型)な選手という認識で、ティモ・ボルやワルドナーのようなきらめく才能を感じた人は多くはいない。
しかし、「練習の虫」は徐々にヨーロッパで頭角を表すようになった。
ドミトリ・オフチャロフは旧ソ連のウクライナのキエフで1988年9月2日に生まれた。しかし、両親はドミトリが3歳の時にキエフを離れた。1986年にすぐ近くでチェリノブイリの原発事故があったせいだ。オフチャロフ一家はポーランドを経て、ドイツに渡った。
ソ連からの移民という影がドミトリについて回ったのは容易に想像できるが、その後、2010年8月、ITTFプロツアー中国オープンのドーピング検査で禁止薬物の陽性反応が出た。これについて彼は中国で食べた肉に禁止薬物が含まれていたと主張。当初2年間の出場停止が言い渡されたが頭髪からの検出はされなかったことなどから食事が原因の可能性が高いことを主張した結果、処分は撤回された
通常、記録を争う競技でない卓球で薬物によるドーピングはプラスには働かない。だが、この「事件」は、オフチャロフという選手のイメージにとってマイナスだった。
しかし、そのネガティブなイメージを払拭するように、2012年ロンドン五輪では男子団体とシングルスで銅メダルを獲得した。
インタビューでのオフチャロフは非常にナイスガイだ。今回、タマス・ヨーロッパ・バタフライの梅村礼さん(元全日本チャンピオン)を通して、インタビューを申し込むとすぐに「OK」の返事をくれた。ティモ・ボルといい、「ディマ」こと、オフチャロフもアスリートとしても人間としても好感が持てる人である。
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