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【卓球競技5月5日開幕】引退から復帰、結婚に出産…まだまだ挑む4度目のデフリンピック。佐藤でも、亀澤でも、ママでもメダルへ

●夫婦で新たに描くデフリンピアンの夢

 目標だったデフリンピックを全力で走り抜いた理穂だが、大会が終わり、再び今後に関して考える時期を迎えている。心にモヤモヤを抱えていた頃に気づいたのだが、目標がないと卓球を楽しめないのだという。

 「限界まで追い込んでデフリンピックに出て、周りのレベルもわかったし、海外も若くて強い選手が出てきているので、簡単に『次も出る』とは言えないですね。デフリンピックが終わってからは、あまりラケットは握ってないんですけど、先日、講習会をやる機会があったんです。それで『感覚だけは戻さなきゃ』と思って練習したら、そんなに面白くなかった(笑)。卓球はもちろん好きですけど、やっぱり私は目標がないと楽しめないんだなって思いました」

 また、自身の選手としての活動以外にも、これから取り組んでいきたいことがある。それはデフスポーツの認知度向上だ。同じ障がい者スポーツの祭典・パラリンピックに比べて、デフリンピックの知名度は低く、選手を取り巻く環境もまだまだ十分とはいえない。第一線で戦ってきたアスリートとして、より多くの人にデフスポーツを知ってもらって、後輩たちが競技に専念できるような環境を整えてあげたい。そうした取り組みに積極的に参加していきたいと考えている。そして、結婚したことで、こんな夢も抱くようになった。

 「2013年に夫と(デフリンピックの)混合ダブルスに出場した時は『カップルペア』だったんですけど、次は『夫婦ペア』で出たい気持ちもあります。男子は今回、派遣基準を満たせず、デフリンピックに出場できなかったので、4年後にそれを目指すのも良いかなって思ってます。

 あと、最近はいろんな競技でママさんアスリートが活躍していて憧れもあります。自分の子どもに、頑張っている姿を見せてあげられたら素敵じゃないですか?」

 自分のために戦い抜いたデフリンピックを終え、今度はメダル獲得を支えてくれた夫と、将来生まれてくるであろう子どものために頑張りたい。今は、そんな未来を思い描いている。

 障がいについて聞いた時、「周りのみんながいつも助けてくれるので、今も昔も大変だなって感じることがほとんどないんですよね」と理穂は話していたが、それは彼女の明るさが周囲を自然と動かしているのかもしれない。これから先、どんな道を進むのかは、まだ理穂自身も決めていない。ただ、どんな道を選んでも最後はきっとハッピーエンドになる。彼女の笑顔には、そんなふうに思わせてくれるパワーがある。(文中敬称略)

 

【PROFILE】

亀澤理穂(かめざわ・りほ)

旧姓・佐藤。1990年10月28日生まれ、東京都杉並区出身。平沼ジュニアで小学4年生から卓球を始め、淑徳学園中・高(現 淑徳SC)を卒業し、東京富士大へ進学。2009、2013、2017年とデフリンピック3大会に出場し、団体、個人戦で銀メダル2つ、銅メダル4つを獲得。住友電設株式会社勤務

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