台湾では小さい頃から「神童」と呼ばれていた林昀儒。
18歳の時にはT2ダイヤモンド・マレーシア大会で
馬龍、樊振東と大物を破り優勝し、世界に衝撃を与えた。
2021年の東京五輪では
鄭怡静と組んだ混合ダブルスで銅メダルを獲得。
シングルスでも準決勝まで進み、メダル決定戦では
オフチャロフを相手に激戦の末に惜しくも敗れ、メダルを逃した。
今シーズン、ドイツの「ノイ・ウルム」、
Tリーグの「木下マイスター東京」を経験した林昀儒に
最新号の卓球王国2023年5月号で初のインタビューを行った。
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●─初めてのオリンピックは誰でも緊張します。東京五輪では?
林 最初はあまり緊張しませんでした。緊張したのは、男子シングルスの3位決定くらいですね。混合ダブルスは試合前の練習でも調子が良かったし、プレッシャーを感じずにプレーできたと思います。
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●─シングルスの準決勝で樊振東と競り合って負けたけど、メダル決定戦があるので気持ちを切り替えないといけない。準決勝での敗戦はどのように記憶していますか?
林 1ゲーム目は良いスタートでした。でも、樊振東は実力もそうだし、どの技術を取っても世界のトップなので、彼はぼくの打つボールにすぐに対応していった。第6ゲームは、2-3、5-9で負けていたけど、挽回して取り返しました。
最終ゲームも2-0、3-1と出だしはリードしていました。前半は戦術も考えながらプレーしていたけど、相手も分析していて、ぼくが回り込んだらすべてストレートに打ってきました。その時点で、ぼくは自分で自分の持っている最高のプレーができていると思っていたので、試合に負けたあとはそこまで落ち込みませんでした。
試合後、「チャンスはあったな」とは思ったけど、自分のプレーも悪くはなかったし、そこまで深く落ち込まずに、負けた後はすぐに次の試合に向けて準備することに頭が切り替わっていました。
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●─3位決定戦はオフチャロフ(ドイツ)に3-4で敗れました。惜しい試合でした。
林 この試合は悔いの残る試合でした。準決勝で負けた後で、3・4位決定戦ということで、勝たないとメダルはもらえないので、とてもプレッシャーのかかった試合でした。「必ずメダルを獲らないといけない」と、そう思っていました。
1ゲーム目は落としたけど、2、3ゲームは取りました。2ゲーム目からは感覚がつかめてきたけど、緊張も大きかった。試合の途中でメダルを手にしている情景が浮かんできたりして、勝ったらどうしよう、負けたらどうしようとかいろんなことを考えてしまい、メンタルが不安定でした。
3-2の6ゲーム目に2度のマッチポイントを握っていました。どちらのボールもすごくチャンスがあったのですが、少し焦りがありましたね。
●─ポイントとポイントの間で「これを取ったらメダルだ」と考えてしまった?
林 少なからずそういうことを考えてしまいました。チャンスボールが来た時、メダルはもうすぐそこだと思ってしまったんです。
●─負けた瞬間の気持ちは?
林 悔しかった。でもその後、団体戦も控えていたから、あまり考えないようにしました。今、あの試合を思い返しても悔しい気持ちになりますね。
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偉関晴光コーチのコメント
(昨年から林昀儒の専任コーチとしてドイツでの試合、練習、そしてTリーグに帯同している)
実際に台湾に行ったら、宜蘭にある小学校の教室を改造した部屋で練習していて、環境は良くなかった。練習相手が来ない日もあった。林昀儒がかわいそうだったね。あの環境でよくここまで来たと思う。もっともっと成長する選手です。
その環境で彼が強くなったのは不思議に思うかもしれないけど、一緒にいたらその理由はわかります。才能ではなく、彼の練習での真面目さですね。朝の9時半から練習が始まるけどと、12時にお昼を食べたことはない。午後2時、3時まで続けるし、休みを入れながら夜も9時、10時までやります。お父さんやお母さんが練習を見に来ると、練習が終わらないからいつも後ろで寝ています(笑)。
食事のあと後に二人でドライブに行くこともあります。彼は車が趣味で、車を運転することが彼のリラックスタイムなんでしょうね。ガールフレンドはいないから、ぼくが横に乗っています(笑)。「コーチと話をしたいから」と言ってるけど、「俺じゃなくて彼女のほうがいいでしょ」と言ってます。
(卓球王国2023年5月号より抜粋)
リン・ユンジュ
2001年8月17日生まれ、台湾・宜蘭県出身。9歳で卓球を始め、15年に14歳という若さで台湾代表チームに入り、16年に世界選手権デビュー。19年T2ダイヤモンド・マレーシア大会では、馬龍、樊振東と大物を退けて優勝し、世界にその名を轟(とどろ)かせた。21年東京五輪混合ダブルス銅メダル、シングルス4位。左シェーク・両面裏ソフトドライブ型、世界ランキング8位(23年3月7日発表)
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