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58歳の倪夏蓮の素晴らしき卓球人生。「卓球には感謝しているし、卓球はすべての人が好きになるスポーツだと思う」 <後編>

6月29日、リモートでのインタビュー。自宅でインタビューに答える倪夏蓮。チャーミングな女性だった

 

激動の卓球人生

「人生は何が起こるかわからない。

でもね、卓球にはとても感謝しているの」

 

●ーー東京五輪はどうですか? あなたにとって東京は思い出の場所でしょ?

倪夏蓮 今から興奮するわね。2019年のヨーロッパゲームで3位になって、その代表資格を得たけど、それを決めた時にはとてもうれしかった。

 

ーーそれ映像で見ましたよ。あなたは勝った瞬間、ぴょんぴょん飛び跳ねてた。

倪夏蓮 あの時は興奮したわね。本当に東京に行きたかった。もちろん、今の(コロナの)状況は心配してるし、日本人が心配するのも理解しているのよ。私たちはオリンピック委員会からの指示で5月末にはワクチンを接種している。

 

●ーー1983年の世界選手権の時のような良い思い出を作ってください。

倪夏蓮 1979年の日中交歓大会で初めて日本に行って、人々はみんな親切で、食べ物も素晴らしく美味しくて、ショッピングもしたかったけど、お金はあまり持ってなかった(笑)。東京に行って、友だちにも会いたいわね。

 

●ーーあなたは現在57歳で、7月4日には58歳になるね。

倪夏蓮 自分の歳は忘れました(笑)。

 

●ーーあなたの人生にとって卓球とはなんですか?

倪夏蓮 卓球は奥深いスポーツね。特別なものだし、卓球のある人生で、自分がどうなるんだろうと想像できなかった。小さい頃はただ単に「将来卓球選手になりたい!」と思い、人生は変わり続けた。中国は開放され、私はドイツに行き、すぐにルクセンブルクに移り、今の夫トミーとも出会った。人生は何が起こるかわからない。でもね、卓球にはとても感謝しているの。たくさんの人と出会い、友だちもでき、人生がとても素晴らしいものになった。

 

「素晴らしい用具を提供してもらっているの。

ハッピーよ。

粒高は『カールP1』を使い、

裏面の表ソフトは『VO>102』を使っている」

 

●ーーあなたは去年、VICTASと契約しましたね?

倪夏蓮 とても素晴らしい用具を提供してもらっているの。ハッピーよ。私は長い間、TSP『カール』を使っていた。名前はVICTASに変わったけど、今も粒高は『カールP1』を使い、裏面の表ソフトは『VO>102』を使っている。とてもいい、満足している。

 

●ーー用具を選ぶ時のポイントは?

倪夏蓮 クオリティーが良いものを選ぶ。『カールP1』は何の問題もないし、他の選手ができなくても私はこのラバーをコントロールできている。ボールも変わり、回転量も減ったと言われるけど、私には今の用具がベストね。表ソフトもスピードがある。

 

●ーーあなたのプレーは粒高でのゆっくりとしたプレーと、一気にゲームを変える表ソフトのスピードがある。

倪夏蓮 だからこの用具の組み合わせが良いコンビネーションだと思う。2年前に戻すまで、私は9年間、裏ソフトを裏面に貼っていたの。

 

●ーーあなたは元のスタイルに戻ったんですね。現代卓球は裏ソフトでのドライブ型が主流なので、あなたのプレースタイルはとてもユニークですね?

倪夏蓮 2017年オーストリアオープンで、日本の橋本帆乃香と対戦した時に最長試合を記録した。裏ソフトのドライブでは得点できなかったので、1年後に表ソフトに変えました。

 

●ーー長く卓球をやってきて、卓球はどういうスポーツだと思いますか。

倪夏蓮 卓球には感謝しているし、卓球はすべての人が好きになるスポーツだと思う。その人のレベルでプレーできるし、いろんなプレースタイルで楽しめる。人によってて速い卓球もできるし、ゆっくりとした卓球もできるし、プロとしてもできるし、ホビーとして楽しむこともできる。若い人も高齢の人も楽しめるし、とても奥が深くてまるでチェスのようなスポーツなのよ。

私自身、ルールやボールが変わってもそれに適応しようと思ってきた。でも時々、私の古い技術が出てくるのよ(笑)。私はね、今でも挑戦を続けてる。生き延びなければいけないから(笑)。今でも卓球を改良しようとしている。

 

●ーーこんなに長く活躍できるあなたの秘密はなんですか? なぜそれほどの強さを維持できるんでしょう。

倪夏蓮 私はね、ハッピーパーソンなのよ。それに賢さも必要なのよ。その賢さは生まれつきのものではなく、私は夫、子どもたち、家族、友だちから多くを学んだ。私は正直であること、感謝を忘れないことが大切だと思う。私は試合で負ければ相手を認めるわ。相手の強さに嫉妬することもなく、「あなたは私より強かった。次は私も良くなるように頑張る」と思える人間なのよ。

 

●ーーなんてポジティブな人なんですか!!

倪夏蓮 そのとおり!

 

●ーーとてもおもしろインタビューでした。東京五輪で頑張ってください。

倪夏蓮 東京で頑張ります。ありがとう!

 

1983年世界選手権東京大会での倪夏蓮。2種目で優勝

 

きこりの倪夏蓮。「彼女は自然が好きなんだよ」と夫のトミー

 

【プロフィール】

倪夏蓮

(ゲイ・カレン/ニ・シアリエン) ルクセンブルク

Ni Xialian 

1963年7月4日生まれ、上海で生まれ、14歳で上海代表チームに入る。のちの世界チャンピオンとなる曹燕華(1983・85世界チャンピオン)、何智麗(のちの小山ちれ・1987年世界チャンピオン)、卜啓娟(中国代表)とともに国内最強チームの一員だった。

1983年世界選手権に初出場。団体優勝メンバー、混合ダブルスでも優勝。1985年世界選手権でダブルスでメダルを獲るも、大会後に国家チームを離れた。

その後、1989年にドイツに渡り、1年間ブンデスリーガでプレーした後に、ルクセンブルクに移り、ヨーロッパ選手で2回優勝、ヨーロッパトップ13で3連覇。五輪は2000年シドニーが初参加、その後、2008年、2012年、2016年、そして東京五輪に最高齢選手として5回目の出場。世界ランキングは中国時代の最高位は6位(1985年)、ルクセンブルクに移ってからも1998年には世界ランキング4位になっている。2020年にVICTASと契約し、『カールP1』『VO>102』を使っている

Ni Xialian With VICTAS

 

 

現在使用している『カールP1』を見せてくれた倪夏蓮

 

 

倪夏蓮が表面で使用する『カールP1』

 

倪夏蓮が裏面で使用する表ソフト『102』

 

 

VICTASラバーの説明はこちら

https://www.victas.com/ja_jp/products/rubber/longpimples

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