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村松雄斗、再び輝くためにドイツ「マインツ」へ。「自分に甘えず、ドイツへ行く」

 

「今回の休部は残念なことですけど、

逆に自分の環境を

変える機会でもありました」

 

2014年ユース五輪銀メダリスト、村松雄斗が来季からドイツ・ブンデスリーガ1部リーグの「マインツ」に入団することが決まった。

ジュニア時代、彼の才能に世界中が注目していた。
山梨が生んだ天才カットマン、村松雄斗。少年時代に教えを乞うために「ミスター・カットマン」高島規郎(1975年世界3位)のところに通った。当時、高島がこう言っていたのを覚えている。「もう私が教えることはない。あとは村松の背が高くなるのを待つだけ」。

それまで両面裏ソフトのカットマンで、両ハンドの攻撃も素晴らしかった。中学の時からJOCエリートアカデミーに入校し、その後、バック面を粒高にしたり、表ソフトにしたりと迷った時期もあったが、高校3年の時にはユース五輪ではブラジルのカルデラノを準決勝で下し、決勝で樊振東(中国)と競り合った。

 

シャイで口数は少ない。でも涙もろい面もある。東京アートの先輩で同じカットマンの塩野真人の最後の全日本選手権。カットマン同士でダブルスを組み、敗れた後に村松は感極まってポロポロと涙を流していた。その塩野は東京アートを去った後も村松のことを気にかけていた。

ユース五輪をひとつのピークに、その後、なかなか勝てない時期が続いた村松。5年前にはドイツ・ブンデスリーガ1部の「オクセンハウゼン」で2シーズンプレーして、クラブの人たちからも可愛がられた。
ドイツにいる頃から故障やケガに見舞われ、試合でも結果を出せないことが続いた。しかし、昨年のアジア選手権には選考会で代表権を獲得して出場した。村松は久しぶりに日の丸のウエアに袖を通し、鼓動の高鳴りを覚えた。そんな折、今年の2月に東京アート卓球部の休部に本人も驚いた。
「最初はイメージがなくて、休部になってからすぐにドイツに行こうとは思ったわけではない。ただ頭の片隅にはあったけど、自分がこれからどうなるのかわからなかった。今回の休部は残念なことですけど、逆に自分の環境を変える機会でもありました。ただ、日本にいるほうが居心地が良いのは当然で、なかなか挑戦したい気持ちはあっても踏み出せなかった。迷っている時にまわりの人から『絶対海外に行くべきだ、挑戦すべきだ』と強い勧めもあって、海外を視野に入れ、日本にいて自分に甘えるのではなく海外に行こうと決意しました」

 

村松に限らず、ジュニア時代に有望視された選手は、その時点でアドバンテージ(優位)を持っている。NT(ナショナルチーム)は遠征や大会に選手を選ぶ時に若手を重視して起用することがいつの時代でもあるからだ。しかし、1年また1年と時間の経過とともに若い選手へのチャンスは減り、そのチャンスは次の若手へと移っていく。

東京アート卓球部休部の後、村松は塩野にこう言われた。「「選手でできる時間はそんなに長くないし、大事にすべきだ」と。その言葉は心にしみた。国内で卓球を続ければいいか、と考えていた村松の心が揺れ動いた。
塩野自身、2013年にチェコオープン、ジャパンオープンというプロツアーで優勝していた頃に、ブンデスリーガ1部リーグのあるクラブから高額のオファーを提示されたが、プライベートな理由で断っていた。その決断は間違いではなかったが、アスリートとして考えれば「行ってみたかった」気持ちもあると振り返る。だから村松には挑戦してほしいと思いっていた。

さらに村松が日本を離れることを決定づけたのは世界選手権日本代表選考会となった3月のライオンカップで宇田幸矢(明治大)に敗れた試合だった。村松に「ドイツ行き」のスイッチが入った。
「ジュニアでは日の丸をずっとつけていたけど、また日の丸をつけたい。この間、アジア選手権の日本代表に選ばれて、試合をして、まわりの目も温かかった(笑)。自分も素直にうれしかったし、まわりの期待に少しでも応えたい気持ちもあります」(村松)

 

いつもは口数が少ない男なのに、「マインツ」への入団決定のインタビューをすると村松は言葉を選びながら少しばかり饒舌になった気がした。
「ぼくは日本にいると楽なほうに流れてしまう。自分にはそういう弱い部分があって、ドイツに行ったらやるしかないという環境に置かれます。そっちが自分に合っているし、もっとプレーが良くなるし、活躍できると思うのでそういう意味でワクワクしています」
未完の大器、村松雄斗は夏に海を渡る。
未完で終わるのか、それとも村松雄斗が再び輝くのか。その答えは戦いの地、ドイツにあるはずだ。

<村松雄斗のインタビュー全文は4月21日発売の卓球王国6月号に掲載>

 

東京アートで活躍した村松雄斗は、5年ぶりにブンデスリーガでプレーする

 

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