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あの時代、パラリンピックに出ていれば金メダルを獲っただろう。隻腕のチャンピオン、北村秀樹さんが逝去

本日、9月30日、元全日本学生チャンピオンの北村秀樹さんが逝去された。79歳だった。

卓球王国では2013年2月号に『ザ・レジェンド』として北村秀樹さんの取材を行っている。

北村秀樹さんは生後8ヶ月で、兵庫県神戸市を襲った空襲で右腕を失った。北村さんは、幼少時代、左腕一本で毎日外を駆け回る子どもだった。

「両手で何不自由なく暮らしてきて、突然片腕がなくなったら、それは大きな喪失感かもしれません。でも、私は物心ついた時から左腕しかなかった。何でも左腕でやるしかなかったし、またそれを不自由だと思うこともなかったんです」(北村)

北村さんは中学1年で卓球を始め、神戸商業高3年の時にインターハイ3位。専修大に進み、全日本学生選手権で優勝している。しかし、この頃から「隻腕のチャンピオン」としてマスコミに追い回され、ドキュメンタリー映画まで作られた。生まれた時から左腕一本で生活や運動をしていた北村さんは、特別視されることに苦しむことになる。

さらに1966年に欧州遠征をした際、まさに卓球選手として伸び盛り、全盛期を迎えつつあった北村さんの耳に、こんな言葉が入ってきた。「北村のサービスは、国際大会ではルール違反だ。通用しない。中国から間違いなくクレームが来るだろう」。左手にボールとラケットを持ち、そのまま左手でボールをトスして出すサービス。本当にルール違反なのかどうか、北村さんにはわからなかった。

もちろんルール上、何ら問題はないのだが、当時、隻腕で健常者と互角に戦う選手がいなかったために周りも本人も戸惑うことになる。北村さんは自分の中でそれらのことを抱え込み、大学を卒業すると忽然と卓球界の第一線から姿を消した。

専修大の2年後輩の元世界チャンピオン、河野満さんはこう語っている。「言うことはいつも正論、頑固で曲がったことが大嫌い。そんな北村さんが好きだった。だから北村さんになら、たとえ殴られたとしても納得したね。それくらい、卓球に対する真摯な姿勢というものを持っていたから」。

マスコミの狂騒がなければ、世界選手権出場の可能性があった人だ。今の時代なら北村さんはパラリンピックで間違いなく金メダル候補になっただろう。

10年前の取材中も背筋を伸ばし、相手の視線をとらえる眼光の鋭さを持つ、まさにサムライのような人だった。日本卓球界はまた一人、「伝説の男」を失った。

 

10年前に取材させていただいた時の北村秀樹さん

 

◉きたむら・ひでき

1944年7月10日生まれ、兵庫県出身。アメリカ軍の空襲によって生後8カ月で右腕を失う。中学1年で卓球を始め、神戸商業高3年の時にインターハイ3位。専修大に進み、大学2・4年に大野充平とのペアで全日本学生ダブルス優勝、大学3年で全日本学生優勝。将来を嘱望(しょくぼう)されたが、大学卒業とともに第一線を退いた

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