青春時代、卓球にすべてを捧げ、日本のトップを目指した選手たち。彼らはラケットを置いた後にどんな人生を歩み、セカンドキャリアを重ねるのか。
明日発売の卓球王国1月号で紹介するのは元全日本2位の糀谷博和。生まれつき右手に障がいを持ちながらも、反骨精神と努力、そして明晰な頭脳で日本の頂点に近づき、そして卓球界を去った男。引退から20年、社労士(社会保険労務士)として成功する糀谷を支える原動力は「卓球選手としての経験のすべて」と語る。
「セカンドキャリア。選手たちのその後」は何人かの元卓球選手たちのその後を追いかける企画だったのだが、インタビューをしながら、あまりにも濃い内容だったために何回かの連載に急きょ変更した。
上の写真は1993年の全日本決勝での糀谷博和さん。松下浩二選手に敗れた。
以下が糀谷さんのインタビューでの見出しだ。
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右手の障がいで
「普通の仕事ができるのか」と悩む。
そして、強烈な指導者、田中拓との出会い
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びわこ銀行に入り、
1998年の国体優勝で肩の荷が下りて、
銀行を辞める
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卓球をやっている時の将来への不安。
バックボーンとかじゃなくて、
卓球そのものが仕事で役に立っている
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2位が多かったのは
注目されることを避けたから。
心のブレーキがかかっていた
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中学校時代は全国的に無名の選手だった糀谷が、田中拓(元上宮高校総監督・故人)と出会い、上宮高校に進み、全日本ジュニア3位、インターハイ2位という成績を残し、早稲田大学4年の時に全日本選手権で決勝まで進んだ。
右手の障がいを乗り越えながらも、彼自身が全国大会で2位と3位が多かったのは、「優勝して障がいを取り上げられることへの怖れ」があったことを打ち明けてくれた。
そして現役時代に、成績を残しながらも「将来が不安でしかたなかった」というアスリートとしての心情を語ってくれた。
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