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インタビュー

「いくつまでやりたい? そら倒れるまでや」 初恋から始まった“ダンディー”なる卓球人生

●51歳で卓球場兼バー「DANDY」をオープン

 ただ、日本生命も51歳の時に退職。「卓球場をやる」と決めていた。こうして2003年、生まれ育った尼崎に「ピンポンバーDANDY」をオープン。当時としては斬新な、アルコールを提供するバーを併設した卓球場だった。

 「社会人の時は仕事が終わって、そこから卓球。そんでネクタイ締め直して、そっから居酒屋探して飲んでも、すぐに終電の時間。練習したらシャワー浴びて、そこですぐに飲める卓球場があったらええなと思ってね。卓球場にバーをつけたのはDANDYが初めてらしくて、新聞やらテレビやら、ぎょうさん取材に来た」

 ちなみに「ダンディー」という店名は中村のあだ名。日本生命にいた頃に、選手たちからつけられたものだった。

2003年にオープンした店舗

卓球場開業当時の中村

 

●「やっぱり、卓球して飲むのが一番楽しい」

 今年3月にはより広い物件へ移転し、8台が置けるようになった。オープン当初から通う常連も多く、「人に迷惑かけんかったら、打つのも飲むのも好きにしたらええ」と、卓球場には自由な雰囲気が漂う。中村の麻雀好きもあり、店内には全自動麻雀卓も設置。練習を終えたお客さんが楽しむ姿も見られる。レッスンや教室の他、土日に開催している試合も好評で、多くの人が参加している。

今年3月に移転した新店舗

全自動麻雀卓も店舗のひとつの名物

 

 しかし、ここ最近は新型コロナウイルスの影響もあってアルコールの提供は休止中。営業時間も短縮しており、閉店時刻を23時から20時へと早めている。23時と夜遅くまで営業していることもあり、仕事を終えて練習にやってくるお客さんも多かったが、それも難しい状況にある。

 「やっぱり、卓球して飲むのが一番楽しい。早く閉めてるから来られへんお客さんもおるし、酒も出されへんからおもんない気持ちもある。歳いってるお客さんだと家族に止められたりして、しばらく来てへん人もおるしね。早くワクチンで落ち着いてほしいわ」

 

●まだまだ続く卓球人生

 卓球場を開いて以降、中村は無給かつ無休の生活を続けている。「売上をあげなアカン」というのと「休んでもやることがない」というのが理由だ。正規のスタッフの他、10人ほどのボランティアスタッフもおり、事務仕事なども彼らがサポートしてくれるという。

 「みんな手伝いついでに遊びに来る感じやけど、(ボランティアスタッフが)いろいろやってくれるから、ぼくは教えることに集中できて助かってるし、そらありがたいよ」

 現在69歳の中村だが、まだまだ多くのレッスンと教室をこなす。指導歴は長いが、今も卓球を教えることの楽しさ、やりがいは変わらない。そして、うまくなる、強くなるためには「素直」であることだという。

 「何かできるようになって、うれしそうにしている生徒の顔を見るとこっちもうれしい。ま、できてもすぐに忘れるから、また教えるんやけど(笑)。

 言うたこと素直に聞くヤツはうまくなるな。ごちゃごちゃ言ってやらんヤツ、根性曲がってるヤツははうまくならん。まずやってみて、アカンかったら変えたらええ。あとはここで教わったことが身につくまで、継続してどういう練習をするのかも大事やな。

 いくつまでやりたいとか、そんなんはない。まだ卓球もちょっとはできるし、倒れるまでや。いつもみんなに『頑張ってよ、ここなくなったら遊びに来られへんから』って言われるから、まだまだ頑張らんとね」

(文中敬称略)

 

◆PROFILE

中村博文(なかむら・ひろふみ)

1952年2月15日生まれ。兵庫県尼崎市出身。住友金属工業中央技術研究所、日本生命で全日本実業団などに出場。日本生命では女子部の監督も務めた。2003年に卓球場とバーを併設した「ピンポンバーDANDY」を尼崎に開業。コーチとして現在も指導にあたる。

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