4月のアジア競技大会代表選考会で優勝して、シングルスの代表権を獲得した吉村真晴(愛知ダイハツ)。昨年10月にテレビ収録中に骨折するケガをしたが、その後、全日本選手権では張本智和(IMG)を倒し、3位入賞を果たし、6年ぶりに表彰台の上に立った。
吉村の復活劇の中で新たに「チーム・マハル」が機能し、マネージャーの立石イオタ良二、そして専任コーチの時吉佑一(Table Tennis GYM LaVIES)のサポートが五輪メダリストを蘇らせた。
卓球王国7月号(5月20日発売)で吉村真晴のインタビューを掲載するが、時吉コーチへのインタビューを紹介しよう。
◇◇◇
ーー吉村のコーチをする経緯を聞く前に、マネージャーの立石イオタ良二君との出会いを聞くべきだよね?
時吉 イオタとは高校生の時のJNTの合宿で初めて会って、同級生で彼も最初の合宿で不安そうだったので声をかけたがの最初ですね。高校卒業後、彼は専修大に進み、ぼくは早稲田大で別々だったけど、お互いが練習に行くようになったりして親しくしてました。
ただ、(吉村)真晴は昔から知ってはいましたけど、年代も違うし、会うようになったのは最近ですね。
ーー吉村君のコーチの話はどういうきっかけだったんだろう。
時吉 最初、イオタから話が来て、「チーム・マハル」でやっていく時に真晴が「誰かコーチをしていただける人いませんかね」という話になり、そこでイオタが「昔から知っていて信頼できるのがいるよ」となってぼくの名前があがったと聞いています。
ーーそれまでの吉村君の印象は?
時吉 お互いよく知らないので、まずは一緒に食事をする機会を作って、お互いのことを知って、相性も良いかどうかわからないので、「とりあえず全日本選手権まで一緒にやりましょう」となりました。そのうえで、一緒に練習をしながら、真晴のやりたいこととぼくがやりたいことをすり合わせて全日本まではやりました。12月は2、3回。1月に入って、週に2、3回で合計12、13回くらいコーチングをしてました。
ーー最初は時吉君の卓球場で吉村君の卓球を見たと聞いています。誰もが知っている選手ではあっても初めてしっかりと見た印象は?
時吉 なんか迷いながらやっている感じがすごくありましたね。バックハンドも打てるはずなのに全然打っていない印象があったし、ラケットの面の作り方も気になりましたね。
ーー10月の末にケガをして休んでいたけど、そこから全日本に向けてのコーチングで気をつけた点は?
時吉 速いところで攻めることですかね。それまでの試合やTリーグでも無理にフォアで回って攻撃している感があって、ダイナミックに見えるかもしれないけど、台から下がることも多くて、後ろでプレーしている状態だったので、まずは卓球を速くしていこう、前陣で攻めていこう、という意識を持って、台上からの練習とか、バック対バックで緩急をつけていくとか、そういうところにフォーカスして練習していました。
ーー確か時吉君も今回の全日本選手権に出ていたよね?
時吉 (笑)出てました。でも自分の練習はほとんどしてません。真晴がメインで動いてました。一緒にやっていると、彼は表情に出るので、大会の前は自信をつけているなと感じました。調子も良かったし、ただ(ケガによる)ブランクがあったけど、それが良いきっかけになってモチベーションは高かったし、まわりの人も「みんなで真晴を応援しよう」と声をかけていました。
ぼくも全日本では1回しか真晴のベンチに入れていない。後半は子どもの大会があって、そこは真晴のコーチの前に決まっていたので、仕方なかった。ただ、試合は全部見ていたので、電話で彼とは話をしてました。
張本との試合は一番良い出来でしたね。真晴はしっかり振っていけば決まるボールがたくさん出てくると思ってました。話し合いの中でストレートをついていこう、バックとフォアをしっかり連係させてつないでいこうと意識していたので、会心の試合でした。
ーー準々決勝(松下大星戦)は快勝したけど、準決勝では足が思うように動かなくなったと本人も言ってました。
時吉 骨折して、準備も1カ月くらいで、トレーニングも全部ができるわけでもないし、練習量も多くはできなかったので、体力面の問題が出ましたね。
ーーもともと全日本までのコーチングだったけど、大会の後の話は?
時吉 終わった時点でイオタと真晴の3人で話し合いました。ぼく自身、良い経験をしながら自分も成長していけると思ったし、ぜひコーチをやりたいという気持ちはありました。真晴もぜひお願いしますということになったので、より近い関係にはなりました。
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