<卓球王国2015年3月号より>
2011年、世界の卓球を変えた男の物語
The Strongest Man, Zhang Jike
Why is Zhang Jike free-spirited?
文章・構成=柳澤太朗
写真=アン・ソンホ、今野昇
写真提供=『ピンポン世界』
他を圧倒する実績を示しながら、
奔放なパフォーマンスで物議を醸す異端のチャンピオン・張継科。
なぜ彼は「優等生」であることを嫌うのか。
そして卓球というスポーツは、彼に何をもたらしたのか。
試合の合間の選手席や帰国間際の空港で、張継科はいつも静かに音楽を聴くか、無心にスマートフォンをいじっている。その眼差しには、強い光も力もない。
中国に行けばどこにでもいそうな若者がビッグゲームのセンターコートで歓喜を爆発させ、ウェアを胸元から引き裂き、鍛え抜かれた脚力でフェンスを蹴破る。
「藏獒(チベタン・マスティフ)」。中国チームの劉国梁総監督は、張継科にそんなあだ名をつけた。
チベット原産で、虎をも倒すと言われる世界最強の超大型犬。普段は物静かで温厚だが、相手を敵と見なせば牙を剥いて襲いかかり、倒すまで攻撃を止めない。
なぜ張継科は暴れるのか。彼の内面に潜む激情か、それとも周到な演出なのか。これまで多くを語られることがなかった、稀代のチャンピオンの実像に迫る旅に出よう。
中国卓球界のアイコンとして、今や押しも押されもせぬ「超級明星(スーパースター)」の地位を手に入れた張継科。
ロンドン五輪が行われた2012年には中国のスポーツ選手の年収ランキングで7位にランクイン。その年の収入はおよそ1300万元(当時の為替レートで約2億2千万円)だった。日本と中国の貨幣価値の差を考えれば、5億か6億くらいの価値はあるだろう。
ロンドン五輪で2枚の金メダルを獲得したことで、出身地である青島市や山東省、さらに国家チームのスポンサーである燕京ビール集団などから500万元(約6250万円)もの報奨金を獲得。青島市の不動産会社から海沿いの高級マンションひと部屋まで贈られている。
スポーツアパレル・ブランドの『安踏』、韓国の起亜(KIA)自動車など大企業とイメージキャラクターの契約を結び、コカコーラのCMにも出演。4千万円以上するイタリアの高級車、マセラティで練習場に乗りつけて話題になったこともある。国際大会への出場が減り、獲得賞金額は以前より低くなったとはいえ、彼が毎年手にする金額は莫大なものだ。
中国の卓球選手はかつて「人民の英雄」であり、「スポーツ選手の模範」だった。
シングルスでの勝利よりも団体戦での勝利を優先し、優勝すればチームや祖国への感謝の言葉を述べる。冷静かつ圧倒的な技術力を誇る一方で、スポーツ選手としてはやや個性と面白みに欠ける。
張継科の先輩、孔令輝や王楠、王励勤くらいまでは、まだその「優等生」的なイメージが残っていた。
しかし、張継科はあくまでもシングルスのチャンピオン。団体戦ではしばしば黒星を喫する一方、シングルスでは圧倒的な強さで対戦相手をなぎ倒す。優勝後の派手なパフォーマンスで観客の度肝を抜き、ウェアを脱ぎ捨て、自慢の肉体美と入れ墨(タトゥー)を見せつける。
実は近年、中国のスポーツ界からは、より個性的で、少々トラブルも多いアスリートが次々に誕生している。中国の強化システムに組み込まれることを嫌い、奔放な発言でも話題を集めた女子テニスの李娜。バドミントン男子チームのエース林丹は、精悍なルックスと体中の入れ墨、ビッグゲームでの抜群の実績など、張継科と共通点も多く、中国のマスコミにもよく比較されている。彼らは皆、時代が求め、時代の流れの中から生まれてきたチャンピオンだ。
2009年に行われた中国チームのコーチ報告会で中国男子チームの劉国梁監督は次のように発言している。「金メダルを獲り続けることだけが、卓球の唯一の特徴になるようではいけない。大衆が求めているのは明確な個性と生まれ持ったスター性、そして勇敢かつ大胆なファイトだ」。
劉国梁総監督は、11年男子ワールドカップで張継科の入れ墨が注目を集めた時も、「世代が違えばものの考え方も変わってくる。我々指導者も、選手たちを指導するやり方は時代に応じて変えていく必要がある」と一定の理解を示している。
2006年のアジアカップ男子決勝で、王皓に敗れた陳杞がラケットを投げ、イスを蹴飛ばした時、中国卓球協会は1週間の農村での労働や罰金など、重い処罰を下した。敗戦の腹いせと勝利の歓喜を同列に比べることはできないが、昨年11月の男子ワールドカップで張継科がフェンスを破壊した時も、帰国後に事件を反省する全体会議が行われたものの、厳しい処罰は下されていない。
なぜ張継科は暴れるのか。それはまず、暴れることがある程度は許される時代になったからだ。ただ強いだけでは評価されない時代を迎えつつあるからだ。ひと昔前、ふた昔前なら、とっくにナショナルチームを追放されていたかもしれない。
張継科がまだ9歳くらいの頃、父の張傳銘さんが息子に「誰か憧れの選手はいるのか?」とたずねたことがある。「憧れの選手はいないよ。ぼくは他の人が憧れるような選手になりたいんだ」。それが張継科少年の答えだった。
彼には生まれながらの王者の資質がある。同時にどうすれば周囲の目を引きつけられるか、常に計算している「自己演出力」に優れた選手でもある。
2011年の世界選手権個人戦・ロッテルダム大会。男子シングルス決勝で王皓との同士討ちを制した後、着ていたウェアを引き裂き、咆哮した張継科。その瞬間、世界の卓球界は彼を中心に回り出した。
試合後の会見では「ウェアを引き裂いたのはただの思いつき」と発言していた張継科。しかし、昨年のワールドカップで、中国の報道陣から「どうして今回はロッテルダム大会の時のように、ウェアを引き裂いたりしなかったの?」とたずねられた時、張継科は「それも考えたよ。でも襟元が四角いタイプだったから引き裂けそうになかった」と答えた。少なくとも彼は優勝する前から、勝利の瞬間とそのパフォーマンスをイメージするような人間なのだ。
12年ロンドン五輪・男子シングルス決勝では、優勝を決めた直後にフェンスを跳び越えて駆け出し、表彰台に口づけした。男子団体決勝の韓国戦2番で朱世爀を破った時には、主審の前に立って自分のほうに右手を上げ、得点を入れるしぐさをした。後に中国の卓球専門誌『世界』の取材に対し、「あれは試合前から考えていたんだよ」と告白している。眠れない夜にあれこれパフォーマンスを考える金メダリストの姿を想像すると、少々微笑ましくもある。
プライベートでは眼鏡を掛けている時が多いが、父・張傳銘さん曰く、視力は良いのに、本人がクールだと思ってかけているだけ。いわゆるダテ眼鏡だ。
ウェアを引き裂いたり、フェンスを壊すような行為は、対戦相手への敬意を欠くバッドマナー。モラルやスポーツマンシップを問う声が噴出するのは当然だ。しかし、物議を醸すような行動ほど、より大きな反響を呼び、より大きな注目を集めるのもまた事実だ。
ワールドカップでの「フェンス破壊事件」は中国国内でも報道が過熱し、「張継科は中国卓球の歴史に泥を塗った。彼がいなくてもタイトルが獲れる選手はいくらでもいる」(『千山晩報』)と厳しい論調で批判するメディアもあった。
一方で中国の卓球ファンからは、大会のメインスポンサーであるリープヘルや紅双喜に対して、「張継科に広告料を支払わなくちゃ」という冗談めいた話も出た。事件が取り上げられるたび、フェンスにロゴが入っていた〝被害者〟として、リープヘルや紅双喜の名前が何度もメディアに登場し、結果的に大きな広告効果を生み出したからだ。それは張継科というスター選手への、注目度の高さの現れでもある。
ツイート