世界卓球・釜山大会の中国との決勝。3番で平野美宇(木下グループ)は勝利し、中国をあと一歩まで追い詰めた。
すべては1月26日に終わり、そこから始まっている。2年近く続いた、パリ五輪代表選考レースを2位の成績で終え、念願の五輪のシングルス出場の切符を手にした平野美宇。
1月の全日本選手権は平野美宇にとっては「全日本」ではなく、「五輪代表最終選考試合」だった。選考ポイントでは2位だが、すぐ後ろから追いかけてくるのは東京五輪の混合ダブルス金メダリスト・伊藤美誠(スターツ)。当然ながら追いかけられるほうが心理的に苦しいはずだった。
しかし、1月26日の6回戦で平野が勝ち抜き、伊藤が敗れた瞬間に五輪代表のシングルスの切符は平野の手に渡り、五輪代表選考レースは終わった。「前回の東京オリンピックの前は、苦しい時に私は逃げてしまったので、今回はいくら苦しくても逃げないというのを決めていました」(卓球王国最新号より)と平野は振り返る。
2月末に平野美宇のインタビューを行った。彼女に長い代表選考レースの中でのターニングポイントを聞くと、22年11月の国内選考会(福岡)での横井咲桜(ミキハウス)戦を挙げた。「横井咲桜選手と2回戦で当たりました。1-3の5ゲーム目、3-6くらいで負けていてタイムアウトを取って、その時に天井を見ながら、『これで私のパリも終わりかもしれない』と思ったんです。『これで終わっていいのか、あと5点で終わりか』と、自問自答して、さすがに「やばいぞ、これで負けたらだめだ」と思ったら、フルゲームの11-9で勝つことができて、そこから勢いに乗れました」(卓球王国最新号より)。
パリ五輪代表選考レースは、昨年夏から伊藤美誠とのマッチレースになった。伊藤と平野は小さい頃からのライバルであり、東京五輪ではチームメイトとして団体銀メダルを勝ち取った仲間でもある。その関係性を問うと、「自分の中では伊藤選手が結果を出した時には負けたくないと思って、自分も頑張ってここまでやってこれたと思います。もちろん尊敬もしていますし、リオの時に伊藤選手が15歳でメダルを獲得したのを見て、私も年齢が若いことは言い訳にできないと思っていました。そこから本気で頑張るようになったし、小さい頃から伊藤選手に負けたくないと思っていて、他の選手とはまた違う存在でした」と語る平野。
世界卓球・釜山大会では団体決勝で中国の王芸迪をストレートで破り、その存在を世界に知らしめた平野美宇。大会前半の苦戦や上向かない調子だった平野とはまるで「別人」だった。世界ランキングも18位から14位に上げた。
「今回、団体戦で中国選手をあそこまで追い込んで負けた時に、今まで感じたことのないくらい、初めて悔しい感情が込み上げてきたんです」「パリでは中国に勝って金メダルを獲りたい、とすぐに思ったのは初めてだった」と本誌に語った平野。
長い選考レースから解放され、そして中国戦での勝利で平野美宇は大きな変貌を遂げている。長く苦しいパリ五輪代表選考レースを経て、7月のパリ五輪へ。平野美宇は何を語るのだろうか。
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