1月の全日本選手権では世界ランク4位の張本智和と素晴らしい試合をした高木和卓。かつて日の丸を付けた33歳は15歳下の世界トップランカーに向かっていった。勝機もあったし、何よりまだまだやれるという手応を彼自身がつかんでいた。
しかし、大会直後に発表された東京アートの休部は高木和にとってあまりに突然の辛い出来事だった。
「全く前兆はなかった。会社も言いづらかったのかもしれない。今でも(休部の)実感はないです。社会があって会社があって、その中に卓球部がある。東京アートで15年間も卓球をやらせてもらったことで、会社には『感謝』しかない。会社を悪く思うことはないです。
ぼくは東京アートの卓球部が好きでした。ずっとこのチームで卓球人生を終わりたいなと思っていた」
しかし、卓球人生を終えようとしていた彼自身のホーム、東京アート卓球部がなくなる。そして、気がつけば、ともにドイツで腕を磨いた岸川聖也も水谷隼も現役としての表舞台から姿を消している。
「(引退は)めちゃくちゃ考えますよ。隼がやめたら、みんな彼より弱いんだから考えるでしょ。でも卓球を好きだからまだやりたい」と高木和は語った。
国内での新たなホームを探し、来季はポーランドリーグも視野に入れている。日本の卓球界を支えてきた33歳の高木和卓はまだ卓球に対して心の炎を消していない。
「故障もないし、体は自分次第です。いろんな人に『休部になって、もう卓球をやめるんですか』と言われたけど、卓球をやめる気はなかった。年とっても頑張っているのって一番カッコイイじゃないですか。だから、ぼくももうちょっとだけ卓球を続けて、カッコイイ選手になりたいんです。もっとやらせて!とは言わない。でも、もうちょっと卓球やりたいんですよ」
「卓ちゃん」「卓さん」と誰からも慕われ、30歳を過ぎた今もベテラン感は全くなく、天真爛漫な卓球少年のままだ。卓球一家に生まれ、両親は卓球が好きになるように「卓」と命名した。
ドイツでの少年時代、いつも岸川聖也と水谷隼の背中を追い続けていた。そして、今、その二人の背中はないが、母体を失っても高木和は新たな戦いの場を求めている。
卓球に愛され、卓球を愛する高木和卓の「卓球人生」はまだ終わらない。 (文中敬称略)
<インタビューの全文は3月21日発売の卓球王国300号記念号で掲載>
高木和卓選手のインタビューを掲載する3月22日発売の300号記念号
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