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帰ってきた女王の言葉vol.1[おかえり! カスミン]

<卓球王国2011年4月号より>

感動的な全日本優勝を決めた石川佳純。

5年ぶり5度目の優勝だが、

初優勝は10年前、17歳のときだった。

当時を懐かしく思い出しながら、アーカイブを読んでほしい。

なお、少し時間をおいて、2月21日発売の4月号「全日本特集」では

チャンピオンインタビューを掲載する。

*所属等は当時のままで掲載する

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当時17歳の石川佳純

石川佳純

大阪・ミキハウスJSC(当時)

All Japan Champion Interview

 

「今年の優勝は勢いと若さで取ったもの。

もし、このまま来年も同じようにやったら

絶対優勝できない。

自信にはなったけど、満足はしてない」

 

 

可憐な少女の笑顔と

勝負師としての厳しい表情が同居する17歳の女王。

本物の強さを見せつけて全日本の覇者となった石川佳純は、

大会後の2月の世界ランキングでは8位に躍進した。

今、激戦と感動の全日本選手権を彼女自身が振り返る。

 

インタビュー=今野昇

写真=高橋和幸・江藤義典

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素晴らしい身体のバランスを持ち、攻め続けた石川

今までたくさんのジュニア、

シニアの試合に出て、

技術的にも精神的にも成長できた

 

2011年1月22日の午後3時45分。東京体育館の天井に向けて両手を突き出した石川佳純。それは若き女王の誕生の瞬間だった。

誕生日を2月に控えた17歳の女子高校生は、64年前の昭和11年から始まった全日本選手権において31人目のチャンピオンとなった。それは勢いに任せた優勝でなく、すでに世界のトップランカーに名を連ねる実力者の鮮烈なアピールだった。

彼女が急激に力をつけている予兆は12月の世界ジュニア選手権からあった。しかし、全日本選手権での優勝とその戦いぶりで、石川佳純の実力が本物であることを、卓球関係者も選手たちも実感した。4年前に中学2年でベスト4に入り、卓球ファンを驚かせた卓球アイドルの、アスリートへの変貌。それは、成功のシナリオ――第一章の始まりかもしれない。

――優勝した直後の記者会見では「実感が全然湧かない」と言っていたけど。

石川 あの時よりは実感が湧いてきました。新聞に出ている自分を見たりしたら……すごくうれしかったし、これからのプロツアーにつながる優勝になったと思うので、すごく自信になりました。

――全日本選手権(全日本)前に、プロツアーはもちろん、アジア競技大会、世界ジュニアなどの多くの大会があった。

石川 本当にたくさんの試合を経験させてもらいました。特にアジア競技大会のシンガポール戦のラストで負けて、すごく悔しかった。でも、それが世界ジュニアの中国戦での4番で顧玉ティンに勝った試合で生きたと思う。今回の試合でも、本当にそれらが自分の経験になったことで、落ち着いて試合ができた。今までたくさんのジュニア、シニアの試合に出て、技術的にも精神的にも成長できた。

――なぜシンガポール戦ラストの敗戦でそんなに悔しい気持ちを抱いたのか。

石川 あの時は自分が2点(起用で)出してもらった。まさか自分が2点使いされると思ってなくて、その村上監督の期待に応えたいと思ったし、2―1の4ゲーム目の5―1から負けたから。その日はホテルに着いたのが夜中の1時半で、それからご飯食べて、興奮して眠れないんですね。同室の(福原)愛ちゃんと話をして、3時くらいまで眠れなかった。

――アジア競技大会から12月の世界ジュニア選手権まで1カ月くらいあった。

石川 練習時間も増えて、ランニングを増やしたりとか、我慢する練習をすることが多くなりました。世界ジュニアで勝って、世界ランキングを上げたかった。でも、中国選手を含めて、ランキングが下の相手に負けたらランキングが下がって帰ってくることになるので、勝つしかないという気持ちで戦いました。

(世界ジュニアの)団体戦の決勝はすごく緊張しました。1番で私が1点取らないと流れに乗れないし、勝って相手にプレッシャーをかけたかった。自信は正直あまりなかったけど、私は試合の数では負けていない。世界選手権も経験しているし、そういう部分で戦おう、1本1本落ち着いてやろうと考えていました。

――緊張しているようには見えなかった。冷静に戦っているように見えた。

石川 最初に絶対勝つ、負けたくないという気持ちでコートに入った。思ったよりは落ち着いていたかもしれない。逆に、4番の相手(顧)は本当に緊張しているのがわかったので、相手が緊張している間にスタートダッシュをかけなきゃと思いました。団体戦の優勝は本当にうれしかった。こんなに良い試合ができると思っていなかったし、正直2点取れると思っていなかったので、すごく自信になりました。

――シングルスでは、団体で勝った朱雨玲に決勝で負けて惜しくも銀メダルだった。

石川 0―4で負けたのはすごく悔しいし、自分の良いプレーが全然できなくて、相手のパターンで最初から最後までやられた。団体の時にはこちらの作戦でできたのに、シングルスの時には相手の作戦でやられた感じだった。

――その世界ジュニアが終わってから、全日本までは1カ月ほどあった。

石川 中国で合宿させてもらいました。調子は普通でした。すごく良いわけでもなく、悪いわけでもなかった。

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