全国から約700人の子どもが参加し、熱戦が繰り広げられた全国百万石オープン(小学生の部)。この大会を発案し、実施した中心人物が石川県卓球連盟の競技部長、澤田勝洋だ。測量会社の社長でありながら、年間の3分の1を連盟の仕事に費やしている澤田。そのエネルギーの源は、「卓球を通じて地元への恩返し」だという。
石川県金沢市で生まれ育ち、中学で卓球に出合った澤田。高校でも卓球部に入ったが、1年の終わりに退部してしまう。
「当時は思いませんでしたが、今になってはあの時に卓球を辞めてしまったことを後悔しています」(澤田)。それからしばらくラケットは握らず、卓球からは離れていた。
18歳から広島で仕事をしていたが、22歳で金沢に戻ると、高校卓球部の同級生から「クラブチームで卓球をやらないか」と誘われた。
「『档の会』という社会人チームに入って、それからは仕事後に週5回練習するようになりました(笑)。34歳の時に石川県予選を通過して全日本マスターズに出場しましたが、上位選手と自分の力の差を痛感して、『ああ、ここは自分の来る場所ではないな』と悟りました」(澤田)
澤田は36歳の時に、金沢市内に株式会社辰信測量を創業。時を同じくして、石川県卓球連盟の関係者から「大会運営に携わらないか」と声をかけられた。そこで澤田は現役としての自分の卓球に区切りをつけ、連盟の理事として裏方で卓球を支えることを決めた。
「学生時代に卓球を辞めてしまいましたが、社会人になって再開できて、全国大会にも出ることができました。選手としての未練は全くありません。ぼくは卓球で地元の仲間に支えてもらったので、好きな卓球と地元石川への恩返しのため、裏方として卓球に携わっていくことを決めました」(澤田)
石川県卓球連盟の理事になった澤田は、2年後には競技部長に就任。中体連と高体連を除く、ほぼすべての県内のカテゴリーの大会運営に関わるポジションとして、年間の3分の1を卓球の仕事に費やしている。
「経営する測量会社と卓球の仕事で休みはありませんが、充実した毎日を過ごしています。妻からは1度も文句を言われたことがなく、それどころかプログラム作りを家で一緒に手伝ってくれるなど、感謝しきれません」(澤田)
澤田は多くの大会に携わりながら、ある思いを抱いていた。「未来のある子どもたちにとって、もっと良い大会を作ることはできないか」。
「たくさんの方にご尽力いただき、昨年に百万石オープンの小学生の部を開催することができました。来年は1000人のエントリーを目指したいですね」と微笑む。
そんな澤田の密かな楽しみは、大会を終えた夜の晩酌だという。
「『やりきったな』とホッとしながらも、もっとこうすれば良かったと反省点がすぐに浮かんで、お酒が余計に進んでしまうんです」と笑いながら、次のように続けた。
「いずれは競技部長の業務を分散して、次に担当される方に負担がないようにしなければいけないと考えています。それもぼくの仕事のひとつです」。
卓球を愛し、地元石川県を愛する裏方のエキスパート。澤田の恩返しは、これからも続いていく。(文中敬称略)
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