2022世界卓球で日本代表として活躍した佐藤瞳(ミキハウス)。今や世界最強カットマンとなった彼女を、小学生時代から育てたのが佐藤裕だ。瞳のみならず札幌大谷中・高で多くの選手を全国区レベルに育て続けている。
小学3年秋から、地元の南茅部卓球スポーツ少年団で卓球を始めた佐藤。センスあるペン表ソフト速攻型で、福岡大でプレーした。しかし、卒業後は地元に戻ってサラリーマンに。「指導者になるつもりはまったくなかった。当初は『卓球はもういい』って思っていました(笑)。でもスポ少で恩師の上山悟さんのお手伝いを始め、子どもたちを教えるようになったんです」
そして05年、佐藤瞳が小学2年でスポ少に入り、翌年から佐藤が指導するようになった(同姓だが親類ではない)。「カットのノウハウはなく、完全に独学、自己流での指導でした。ふたりでカットマンのビデオを見ながら、『こうしよう、ああしよう』と話し合ったり、試合での課題を持ち帰って練習するという繰り返し。松下浩二さんや朱世爀(韓国)など男子カットマンのビデオばかり見ていた。女子であっても撫でるようなカットではなく、将来を考えて、鋭いカットから時にドライブの引き合いをするようなプレーを目指した。実際、瞳のミドル処理は浩二さんに似てるんですよ(笑)」。
瞳が小学生の時から、佐藤が見据えたのは世界レベルでのプレーだった。「本人も日の丸をつけて世界で勝ちたいと言っていた。『中国に勝つには』と考えて逆算したら、カットと攻撃が半々のしつこいプレーが必要だと思った。ふたりの共同作業で、ひとつずつ課題をクリアしていきました」。
こうして瞳は全日本ホープスで2位、そして尾札部中3年時には全中優勝を果たした。道外の強豪チームからの誘いもあったが、瞳は札幌大谷高に進学。同時に佐藤も同校職員となり、卓球部の指導を始め、現在に至る。
佐藤瞳や大久保ひかり(カデット14歳以下優勝)などカットマンの印象が強い札幌大谷だが、高山結女子(インターハイ3位)など本格派両ハンドドライブ型の選手も多く輩出している。「『北海道でプレーしていると全国では勝てない』などと言われていたので、打破したかった。全国上位に行くには、“真っ向勝負”でないと逆に勝てないいので、攻撃選手も正統派で威力を出していくプレーを目指しています。目標設定をしっかりし、基礎を徹底的にやる。特別なことはやっていません。これはカットも攻撃も同じだし、昔も今も変わっていません」。
一方、佐藤について、教え子の瞳はこう語る。「裕さんとの練習は、まさに試行錯誤という言葉がピッタリでした。初めは教えてもらうだけでしたが、私が成長するにつれ、自分の考えもできてきて、話し合って工夫しながら練習をしていきました。裕さんは口は悪いですが(笑)、卓球が本当に大好きで、すごい熱量がある方です。スポ少での指導はボランティアなのに、働きながら、ほとんど寝ていないような状態で教えていただき、私を強くしようという熱を感じた。そこに子どもながらにその情熱に対して信頼感があり、『裕さんやスポ少に恩返しをしたい』という思いが、私の原動力でした」。
日本代表選手を育てた佐藤だが、一方で自分の教え子が卓球をやめた後のことも常々考えている。「卓球をやめた後の人生は長い。私自身、卓球ばかりやってきて、社会に出て苦労した。偉そうなことは言えないけど、私が失敗したからこそ『卓球以外のことも大事』ということをリアルに伝えたい。瞳は本当に誠実で純粋で、私のほうが人としていろんなことを学ばせてもらいましたね」。笑いながら語る佐藤裕は、そのあふれる熱意で、教え子たちとともに成長を続けている。
(文中敬称略)
text by Hiromoto Takabe
佐藤 裕
さとう・ゆう
1977年2月18日生まれ、北海道函館市出身。岐阜第一高、福岡大を卒業後、函館で仕事をしながら南茅部卓球スポ少で指導。13年に教え子の佐藤瞳が札幌大谷高に進学すると同時に、同校職員となり、札幌大谷中・高女子卓球部の指導を開始。以来、名門チームを牽引し続けている
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