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インタビュー

【あなたの町の卓球ショップ vol.7】 「『濵田君、今日は店にいる?』と電話をくれるお客様もいて、それはとてもうれしいですね」。大阪市浪速区・ハマダ卓球

 

卓球用品をネットショップで購入する人が増えている中で、町の卓球ショップにもたくさんの魅力がつまっている。そんなショップと店員を紹介するWEB限定企画「あなたの町の卓球ショップ」。第7回となる今回は、大阪の中心地・難波に店を構える「ハマダ卓球」さんをご紹介。

 

歴史を感じさせるたたずまいのハマダ卓球。難波(なんば)駅から徒歩すぐで、大阪府立体育館からも近い

 

昭和50年(1975年)に濵田正則さん(故人)が大阪のビジネス、観光の中心地である難波(なんば)で創業したハマダ卓球。大阪で初めての卓球専門店として長く親しまれている。正則さんの次男である濵田倫(たくい)さんは18年前からハマダ卓球に勤務し、5年前から社長として店を切り盛りしている。

47年の歴史を持つハマダ卓球は、今も昔も「対面での接客」を重んじて、地域に愛されるショップだ。

 

●父親の後を継いで老舗ショップの社長になる

濵田倫さんの父親の正則さんはハマダ卓球を営みながら、大阪卓球協会の副理事長、副会長として大阪の卓球の発展に尽力し、日本卓球協会の評議員としても活躍された重鎮だ。2018年に逝去され、店を任されてから5年が経った。

「ぼくは近畿大学を経て就職のため横浜に行きましたが半年で辞めてしまいました。大阪に戻ってきて、父に店で仕事をするように言われてハマダ卓球で働いたのが18年前です。当時は父が経営をしていてぼくは販売員として店頭の接客をしていました。ぼくには兄もいますが卓球をやっていなかったので、大学まで卓球をしていたぼくが店で働くようになり、父が亡くなってからは社長として引き継いでいます」と濵田社長。

濵田社長は店のある大阪市浪速区の隣りの西区で生まれ育ち、小学6年から卓球クラブで卓球を始めた。

「父に言われたわけではなくて、自分から卓球をやってみたいなと思って、それならばと父が習いに連れて行ってくれました。中学は地元の公立校で、高校は近大附属高、大学は近畿大と強豪校に進みましたが、ぼくは弱かったのでおまけみたいな感じでしたね(笑)。高校1年の時に2、3年生の先輩が大阪予選を勝ってインターハイ団体戦に出場しましたが、イレギュラーだったので観客席から応援していました」(濵田)。

近畿大では1年の終わりに関西学連に行くことになり、学連の仕事が忙しかったため自分の卓球の練習はできなくなった。「弱かったけれど学連に行くまでは休みの日でも近大の卓球場で練習をやっていましたね。学連では他校のいろいろな子たちと仕事をすることになったので友達は増えました。そこで知り合って、今でも仕事で付き合いがある子もいますし、そういう部分では良かったですね」(濵田)

 

 

 

●コロナ前は立地を活かしてインバウンドで海外から「爆買」も!?

ハマダ卓球がある難波は、大阪の中心地であり利便性が高い。店の最寄り駅の難波駅(なんば駅)は、御堂筋線、四つ橋線、千日前線(地下鉄)が通っており、この他にJR、南海線、近鉄奈良線・阪神なんば線もある。駅から徒歩5分ほどに店があり、大阪府内はもちろん、近隣の他府県からも行きやすい。

「大阪のお客様が一番多いですが、奈良や滋賀、兵庫から来てくれている父の代からの常連様もいますね。また、関空(関西国際空港)から乗り換えなしで難波駅まで来れるので、コロナ前は中国をはじめ、海外からのインバウンドのお客様も多かったです。コロナ前だと来店客の30パーセントくらいが海外の方でした。冗談半分で『今日、日本人のお客さんいたかな?』というくらいの日もありましたから。昔からやっている関係もあって、大阪の卓球ショップで検索するとうちが上のほうに出てきますので、そういう部分と場所柄ということが大きいと思います。これもうちの特徴だと思います」(濵田)。

 

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