卓球王国 2024年12月20日 発売
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インタビュー

卓球と水谷先輩を通じて、会社を広く知ってほしい

 

遊学館高時代。インターハイで戦う平岡

 

高校2年のインターハイでは、団体戦の主力メンバーとして3位入賞。平岡は準決勝で中国人留学生にも勝ち、オール3−0で全勝という結果を見せた。そして、翌年最後のインターハイでも団体3位入賞に貢献。インターハイ優勝の目標には届かなかったが、十分な結果を残した。
「中学時代に全国大会の出場経験がない自分にとって、高校時代はやりきった感はありました。最後は青森山田高に負けましたが、彼らと自分には大きな差があったと感じたのも正直な気持ちとしてありました」
高校時代を振り返ってもらうと、「とにかく厳しくて、叱られていましたが、卓球はもちろん人として大きく成長させてもらいました。植木先生からは『良い父親になれ』と言われ続けていました。遊学館高で3年間を過ごすことができて本当に良かったです」
大学は中学時代に練習に通った明治大に進学。卓球部に入ったが、5月の遠征中に試合で台に右肩を激突させて大怪我に見舞われてしまう。「高校時代に過ごした石川県で行われた百万石大会に出場して、試合でネットインを取りにいった時に右肩を強く台にぶつけてしまい、肩が外れてしまいました。東京に戻ってから4カ月間のリハビリを経て練習を再開しましたが、2年の終わりに練習中に右肩を外してしまって、手術をしなければいけないと言われ、手術をしました」

手術後に医師から「以前のようにプレーするには半年以上かかる」と言われた。「そう告げられた時に自分の中で卓球を諦めてしまった部分がありました。同級生が自分よりも強くなっていく姿を見て、水谷さんなど強い先輩たちと一緒に練習をしている中で、『自分はこの人たちに勝つことはできない』と限界を感じていたので、怪我で離脱したことをどこかでラッキーと思っている自分もいました」
大学での部活は最後まで続けたが、結果を残すことはできなかった。「今もやり直したいという後悔もありますが、大学時代の人との出会いは宝物になっています」

 

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