卓球王国 2024年3月21日 発売
バックナンバー 定期購読のお申し込み
インタビュー

【PEOPLE】女性卓球ユーチューバーのトップ『あおちゃんねる』こと菅原亜生の今

 

●菅原さんは今はシェークの異質攻撃型ですが、中学の時は違う戦型だったと聞いています。

菅原:中学2年から始めて、高校、社会人と戦型はいろいろと変えました。最初はペンの粒高で、私は途中から部活に入ったこともあって「中学で途中から始めるならペン粒のほうが成長が早く、勝ちやすい」ということでペン粒のラケットを渡されました。中学の間はずっとペン粒でした。

 

●高校でも卓球を続けたんですよね?

菅原:本当は続けるつもりはなかったんですけど、千葉経済大附高にスポーツ推薦でいけるってなって「経済に推薦で入れるなら行きたい!!」って思いました。私は勉強ができなかったのでスポーツ推薦で入れるならラッキーみたいな感じで入学しました。

 

●スポーツ推薦の話がなかったら高校で卓球を続けるつもりはなかったんですね。

菅原:そうですね。中学でキツかったし、高校はバイトいっぱいして遊ぶぞって思ってました(笑)。

 

●高校時代はどうでしたか?

菅原:高校時代は不甲斐なかったですね。私は一応特待生で、女子卓球部で1番良い条件で入ったんですけど、3年間レギュラーになれなかった。スポーツ推薦の私よりも一般入試で入ってきた子たちのほうが強かった。そういった子たちに追いつけず、そのまま引退を迎え、キャプテンだったのに団体戦にはほぼ出られずに終わってしまいました。ベンチには入っていましたが、卓球台には立てなかったです。かなり不甲斐なかったですね。「何してんだ私」って思っていました。

 

●高校で戦型を変えたんですよね?

菅原:変えました。最初はペン粒からウロウロしていて、高校の顧問の先生に「動けるから攻撃型になりなさい」と言われて、フォア面に裏ソフト、裏面に表ソフトを貼ってドライブ型になりました。バック面に粒高を貼っていた時期もありました。

ペン粒の時もほとんど打たずに粒高でブロックする感じだったので、フォア打ちもできない状態から裏ソフトのドライブ型にしましたがうまくいかず、途中で挫けて先生に反抗して「ペン粒に戻したいです」て言ってペン粒に戻したり……。中学の顧問の先生が私が悩んでいることを察して、高校に顔を出しに来てくれたんですよ。その時に「せっかく高校に入って裏ソフトで頑張ってきたんだから、攻撃でやってみなよ」と言われて、「先生がそう言うなら私も頑張る」と思って、そこから粒高を剥がして中ペンの裏裏になって、本当に攻撃マンみたいな感じで練習してました。

 

●高校時代の個人の戦績はどうでしたか?

菅原:県大会に出て1回戦負けくらいのレベルでした。

 

●チームでの成績は?

菅原:1番良くて県でベスト8(5位)とか。あと1回勝てれば関東大会に行けたという感じでしたね。

高3の夏まで続けて、部活は引退しました。「こんな結果だったから卓球なんか懲り懲りだ」って思いまして、高校卒業後は卓球はやらないって思ったんですけど、不完全燃焼だったから辞めずに続けたんだと思います。

 

●短大に進学後は卓球はどうしていましたか?

菅原:部活ではやらなかったんですけど、社会人サークルに入ってやっていました。ラケットを持たなかったのは高3で引退してから3カ月間くらいです。結局10月くらいには遊びで卓球をやっていました。

 

●高校卒業後もペンでやっていたんですか?

菅原:部活を終えたタイミングで「楽しくやろう」と思ってシェークの裏裏にしました。卓球を始めた時からペンしか渡されていなかったので、(シェークが)うれしくてうれしくて。

 

●今はバック面は表ソフトですよね。

菅原:そうですね。2年半くらい裏裏でやっていたんですけど、結局勝ちたくなってしまって。裏裏だとボールが綺麗で癖球が出ないということで『アタック8』に変えました。『アタック8』を2年くらい使ったんですけど、私には扱えないと思って今は『モリストSP』を使っています。

 

関連する記事