1958年(昭和33年)3月、東京・高田馬場駅近くに誕生した山手(やまて)卓球場。その静かな誕生から時を重ね、昭和の香りが色濃く残るこの卓球場が、2024年12月15日に幕を閉じた。
戦後の焼け野原から復興の息吹が感じられるようになった1945年。東京の街々には次々と家々が建ち、婦人雑誌では主婦が営む副業として卓球場経営が取り上げられるほどだった。日本が1952年に世界選手権ボンベイ大会で優勝し、卓球ブームのきっかけを作る前に、自宅を改造して小さな卓球場を開く人が増え、賑わいを見せていた。
1956年の世界選手権東京大会での日本の活躍で、本格的な卓球ブームが訪れたとしたら、この山手卓球場は熱い卓球人気の影響で建てられたものかもしれない。
更地に建てられたこの卓球場は、他の多くの卓球場とは異なり、最初から「卓球場を作ることが目的だった」と店主の富田真俊さんは静かに語る。
山手卓球場の特徴は、何よりその天井の高さにあった。家を改造した卓球場では感じられない開放感が広がり、床には桧の板が使われ、磨かれたような艶やかさが感じられた。その温もりと落ち着いた空気は、長年通い続けた常連客たちにとって、ただの遊技場ではなく、ひとつの「居場所」として大切にされてきた。
しかし、月日が経つにつれ、老朽化は避けられなかった。富田さんは深い思いを胸に閉店を決断する。「私も寂しい。卓球場を継続する方法を考えたが、どうしても難しかった」。67年という歳月を刻んだこの場所に、ついにその灯が消える日が訪れた。
日本最古とも言われる町の卓球場、その灯が静かに消えた。多くの人々の記憶の中で、山手卓球場はただの卓球場ではなかった。ひとときの温もりが感じられる場所であり、昭和の面影を色濃く残す「時間」が、そこに息づいていた。
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