卓球王国 2024年11月21日 発売
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なぜ「ファンタジスタ・丹羽孝希」は日の丸を脱ぐのか。「やりきったと思っている。悔いはない」

東京五輪での丹羽孝希。五輪は3大会連続で出場し、団体戦で2個のメダルを獲得し、日本卓球界に貢献した

 

体も心もボロボロの東京五輪前の水谷との代表レース。
強化本部長の言葉で徐々に心が削られた

「丹羽孝希、国際大会からの引退」。それは突然の発表だった。
北海道の苫小牧で育ち、中学から青森山田学園で鍛えられ、世界ジュニア選手権優勝、ユース五輪金メダル、高校3年の全日本選手権では先輩の水谷隼を破り、優勝。2016年リオ五輪、2021年東京五輪の2大会連続で団体メダリストとして日本卓球界に貢献した丹羽孝希。
輝かしい実績とは裏腹に、メディアにあまり登場しない丹羽の胸の内を聞いてみた。(インタビュー全文は12月21日発売の卓球王国2月号で掲載)
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●ー11月8日に国際大会からの引退を発表しましたが、決めたのはいつ頃だったのだろう?
丹羽 19年の(東京五輪)代表レースが苛酷で、ぎりぎりシングルスの代表にはなれたけど、そこで燃え尽きた感じがありましたね。あの時はダブルスの左(水谷)・左(丹羽)問題があって、水谷さんはミックス(混合ダブルス)があって有利、ぼくが3番手になったら(団体メンバーから)はずされるだろうと言われていました。それが最後まで続いていたんです。
体も心もボロボロで、メディアにもダブルスの「左・左」は難しいと書かれて、宮﨑(義仁)さんもメディアに言っていたので、強化本部長(当時)がそれを言うのかと思って、徐々に心が削られていった感じです。代表が決まったうれしさはあったけど、燃え尽きた感がありました。最初はそこですね。
●ー世界選手権のシングルスでベスト8に2回入っている男子選手は、最近では丹羽くん以外ではいないのに、団体戦に起用されない時もあった。自分が評価、理解されていないと感じることはあったのだろうか。
丹羽 もちろん世界ランキングで日本選手の最上位の時、18年の世界選手権で外されたこともありましたし、その時の世界選手権では1勝すると250ポイント(世界ランキングポイント)が加点され、それがオリンピックにもつながっていたので、ぼくだけ出れずに、水谷さんと張本が点数を重ねて、そこで離されたこともあった。ワールドチームカップでぼくが外されて、吉村(真晴)くんが選ばれたこともありました。いろいろあって、団体戦はあまり良い思い出がないですね。
ただ、オリンピックの団体では自分のためにも日本のためにも頑張ったし、結果も良かったと思います。世界選手権のメダルよりオリンピックのメダルのほうが絶対価値がある。
(インタビュー全文は卓球王国2023年2月号・12月21日発売号で)
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もちろん今回のインタビューは、丹羽孝希の現役引退のそれではない。このインタビューで今まで丹羽自身が明らかにしていなかった思いを語ってくれた。試合中のクールな丹羽ではない、優しい笑顔を見せながら語る卓球青年。
日本卓球史の中で、五輪メダリスト、全日本チャンピオンという素晴らしい成績を刻んだ丹羽孝希の卓球人生はまだまだ続く。

 

 

丹羽孝希のインタビューを掲載している卓球王国2023年2月号は12月21日発売