全国大会に行った経験を持つが、成功した選手ではなかった。大学を卒業して、卓球はすぐにやめた。15年ぶりに卓球を再開した定岡正直。千葉県鎌ヶ谷市に「卓球技塾」というクラブを立ち上げたが、腎臓を患い、昨年8月に腎臓移植。その後、新たな卓球人生が始まった。
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ーー定岡さんは岡山県出身ですね。
定岡 小学校6年から卓球を始めました。中学の時、講習会で伊藤繁雄さん(元世界チャンピオン)が地元に来てくれて、中学生代表で伊藤さんとやらせてもらい、その時に「卓球をやるなら専修大でやる」と心に決めましたた。
高校の先輩の新谷さんという方が専修大に行っていたので、口を利いてもらいました。縁を感じますね。関西高から専修大学に入学。大学は厳しかったですよ。部内リーグでは上位に入りましたが、対外的な成績をついてこなくて、関東学生リーグのデビューは4年の春でした。信号器材に入って2年で退社し、取引先だった会社に入社しました。
ーーその後、卓球はやっていなかったのですか?
定岡 15年間くらいは卓球をやっていませんでした。39歳の時に子どもが小学校3年生の時に子どもを教えるために卓球を再開しました。しばらくは自分も試合に出ていました。マスターズの年代別に40歳の前半、50歳の前半、60歳の前半に出たりしてました。子どもは流山アストロズで教わっていました。東京の実践中に入るまでは、自分の子どもも指導していました。
ーー子どもたちを教えるようになったのはいつですか?
定岡 もともと自分の子どもを教えている時に、一緒に何人かを教えていたのがスタートです。私がいて、子どもたちがいて、子ども同士で打ち合ってレベルを上げていくスタイルです。
ーー「卓球技塾」はいつからスタートしたんですか?
定岡 7年前ですね。きちんとしたやり方で子どもたちを教えたいと思い、公認コーチの資格も取ろうと思い、クラブも作りました。今は子どもたちは近隣の小中学生が20人くらい来ています。鎌ヶ谷の福太郎アリーナや学校開放で週2回から3回の指導、日曜日は試合になることが多いですね。
卓球技塾を立ち上げる一番のきっかけは、2011年から約1年間、札幌に単身赴任していた時期に「円山クラブ」で子どもたちと一緒に練習させていただいたことだったと思います。代表の荻原正憲さんと一緒に子どもたちと練習したり試合に行ったりしたことで火が付いたように思います。東京本社に戻ってすぐ、公認コーチ取得にチャレンジしました。
ーー定岡さんは体を壊されていますね?
定岡 前々から痛風で尿酸値が高くて腎臓に負担がかかっていて、慢性腎炎で腎臓の機能がどんどん低下していた。2019年末に人工透析を始めたんです。それまでも指導はしてたんですが、腎臓が悪くなると息切れがしたり、貧血になることが多かったですね。
ーー教えるのもしんどい感じですか?
定岡 19年末は息子に車で練習場に連れて行ってもらい、練習メニューを作って、父兄に渡してやっていました。人工透析をすれば普通に生活はできるのですが、一生透析を続けるのも、と思い、腎臓移植を決めて、昨年8月に移植手術をしました。妻から腎臓をもらいました。それまでには半年間くらい検査をして移植に踏み切ったんです。
ーーコロナ禍ですから大変だったでしょうね。
定岡 そうですね。ただ手術のための入院は20日間くらいで、手術をしてから2週間で退院でした。今は普通に生活しています。当時は1回4時間の透析を週3回してました。
ーー指導できなかったのはどのくらいですか?
定岡 8月に手術して、9月からは練習に顔を出してました。入院している時には子どもたちから寄せ書きとかをもらいました。10月くらいには軽く球出しとかはやっていましたね。
ーー手術前と手術後では卓球との向き合い方が変わるものですか?
定岡 せっかく復活できたので、子どもたちにも卓球の楽しさを感じてもらい、ぼくみたいに年を取っても卓球が嫌にならないように、卓球ができるように教えています。体が動く限りは指導していきたいですね。
ーー指導する時に気をつけている点は?
定岡 最初は千葉の代表としてホカバに出れるとは思いませんでした。ただ、私も卓球を真面目にやってきたので、教えるならきっちりと基本とかも教えたかった。だから自分で球出しもやっています。今はようやくホカバで全国大会にも出られるようになりました。中学まで教えるけど、高校でも卓球を続けてほしいと思っています。
ーー昔はいったん人工透析になるとその後、ずっと透析をしながら生活を続けることだったんんでしょうけど。腎臓移植によって、普通の生活を取り戻し、定岡さんのように子どもたちを教えることができるのもすごいことですね。子どもたちの年齢も幅広いですね。
定岡 下は6歳で、上は中学3年です。今や孫みたいな年齢ですから。実際に6歳の孫がいるので、孫と接している感じです。小さい頃から基本や正しい体の使い方を教えてあげたいと思います。
いろんな方とフェイスブックやツイッターで知り合いになって、指導も勉強させてもらっています。大学の後輩の川嶋も大阪で頑張っているし、この間もフラットヒルの平岡くんのチームが練習に来てくれました。千葉では、専大のひとつ先輩の吉井さんも県卓の役員をしているし、クラブでも指導を頑張っています。吉井さんは巡回しながら中学校を指導していると聞いたので、ぼくも市内の全部の学校を回ってレベルを上げようと外部コーチをやっています。数年前から5月の連休あけに、初めて卓球を始める子どもたちのための講習会をやったりしています。
ーー夢は?
定岡 全国大会で活躍できる選手を育てたいですね。千葉は登録数も多いのでカデットに出る枠も多いので、頑張ってほしい。
ーー重い病気でしたが、今こうやって子どもたちを教えられるようになって良かったですね。
定岡 そうですね。生き返ったと言ったら変ですけど、思い切って手術をして、透析もなくなって、体も動けるようになったのがうれしい。子どもたちも長く卓球を続けてほしいですね。ここから巣立った子どもたちがまたクラブに戻ったり、千葉に戻ってきて、次の世代に卓球の楽しさを伝えてほしい。
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練習中、1台ごとに子どもたちに声をかけ、自ら球出しを行い、教えていた。腎臓移植という大手術を経験し、生まれ変わったように新たな卓球の指導と向き合う定岡正直。第三の卓球人生のスタートである。 (文中敬称略)
●さだおか・まさなお
1956年11月15日生まれ、岡山県新見市出身。新見第一中から関西高校、専修大を卒業。千葉県鎌ケ谷市で「卓球技塾」という卓球クラブを主宰。鎌ヶ谷卓球連盟理事長も務める。インターハイ、国体、全日本選手権の出場経験を持ち、日本スポーツ協会と日本卓球協会公認コーチ。5月2日の千葉県クラブ選手権(小・中学生の部)で優勝
PEOPLEインタビューは卓球王国2021年7月号にも掲載
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