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水谷隼「自分でさえ踏み込まない空間に 相手を引き寄せようかなと思いました」

最後の最後まで悩みました。

もしここで出ないで

万が一負けたら

一生後悔すると思った

 

日本のエースは負けることを許されない。彼が負けることはチームの敗北を意味するからだ。予定では、2試合ほど起用から外れるローテーションだったが、初戦の敗戦で水谷はグループリーグの5試合にすべて出場し、全勝した。

そこで見せたのは、ロシアリーグで鍛えられたタフなメンタルとフィジカル、そして世界のトップレベルのテクニックだった。

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●ーグループリーグの最終戦のハンガリー戦も出ることになった。

水谷 最後の最後まで悩みました。もしここで出ないで万が一負けたら一生後悔すると思った。それにハンガリーにはカットマンがいたので、今の日本だとカットに2点落とす可能性もあるから、ぼくが一番カット打ちができるし、「行けます、やれます」と監督に伝えました。

 

●ーこの試合も2回出るとは思わなかった。

水谷 もちろんそうです。監督も気を遣ってぼくをラストに置くオーダーにしてくれた。

 

●ーハンガリー戦で勝ってグループを1位通過して、ドローの結果、準々決勝では再びポルトガルと対戦。一度勝っている相手だったけど。

水谷 やりづらいですね。

 

●ーこの試合ではトップで丹羽がフレイタスに勝ったのが大きかった。

水谷 試合前、正直、丹羽は負けると思っていました。0︱3くらいで。前回の丹羽対フレイタスも、3ゲーム目は5︱9くらいでリードされていたし、最終ゲームも4︱8くらいだった。それにぼくだってマルコスには危ないし、健太も前回負けていたから。チームもちょっとわからないなと思っていた。2番のぼくには0︱1で回ってくると思っていたので、丹羽が勝った時に、日本は勝ったと思いました。

 

●ーこのポルトガル戦に勝って、メダルを決めた。

水谷 初戦負けてからメダルを獲るまでは、あっという間でしたね。1試合1試合、楽な試合はなかった。予選のポルトガル戦、フランス戦も、ハンガリー戦も危なかったし、とにかく1日1日が必死でした。ただラッキーだとは思いましたよ、予選で1敗してメダルを獲れたのは。

 

●ー今回、男女とも最高のドローだったから救われた面もあるかもしれないし、運も日本チームに来ていた。

水谷 ラッキーだと思いますよ。ギリシャはポルトガルに勝ちそうだったから、もしギリシャが勝っていたら日本は2位通過。そういう意味ではラッキーが重なっている。

 

●ーそして1日置いて、準決勝でドイツと対戦した。

水谷 1日置いてだいぶ体は楽になりました。ドイツはオフチャロフをエースとして使うと思ったから、2番でボルとやると思ってました。

 

●ーところが、2番で世界4位のオフチャロフと対戦。

水谷 彼とは最近1勝2敗。3月のヨーロッパチャンピオンズリーグで勝った後に、同じ月のドイツオープンと4月のチャンピオンズリーグで2回負けています。彼とは試合もいっぱいやっているので、一番研究もしました。去年11月のドイツオープンでも負けて、その前は1年近くやっていなかった。11月のドイツオープンの時はあまり深く考えずに、意識しないでプレーしたら0︱4でノーチャンスだった。

その後、邱(建新・個人コーチ)さんやプリモラッツ(クラブのコーチ)ともたくさん話をした。そして3月のチャンピオンズリーグで久しぶりに勝つことができて、勝ち方がわかってきた。11月に負けてから今年3月までの間で自分はさらに成長したと思う。3月のドイツオープンの決勝も勝てそうな試合だった。その辺からお互いが常に読み合いでした。絞られてくるんですよ、やることがお互い限られてくるんです。その読み合いの中で、どちらかが先に変化をつけたり、仕掛けたりする。チャンピオンズリーグの2戦目でまた負けて、次が世界卓球のドイツ戦だった。

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