前回のブログの続きです。ボリビア2014年大会には9ヶ国、9種目、700名の選手が参加しました。1968年ブラジル第1回大会開催以来45年が経過し今回が第21回大会ですが、これ迄の間、ボリビアで開催した事がなく事前準備が大変だったそうです。
2008年サンパウロ大会に参加した時もそうでしたが、入場行進と開会宣言後の趣向を凝らした出し物は日本人の血が騒ぐ内容です。ボリビアのカーニバルで有名な”カポラレス”グループ100名の踊りながらの行進、沖縄エイサー太鼓20名の“島唄”や、最後は50名の若者が「上を向いて歩こう」をスペイン語に編曲したレゲトン調のリズムに乗って踊り、会場に駆け付けた日系人たちと心を一つにした瞬間でした。
卓球競技は発展を続けるサンタ・クルス市内の日本人会館で行われ、卓球競技期間中には忘れかけている日本人の心や日系人移住者の歴史を知る機会がありました。
2月1日試合会場の敷地内にある“サンタ・クルス日本語学校の入学式・始業式”の事です。日本人会会長の話で「なぜ日本語の勉強をするのかな?と思うことがあるでしょう。それは皆のお父さん・お母さん・おじいさん・おばあさんの生まれた国の言葉だからでしょう。それに日本は文化が豊かでテクノロジーの進んだ国だから、皆さんの知識と生活が豊かになる事にもつながります。そしておじいちゃん・おばあちゃんと日本語でお話してほしい」との挨拶でした。このように日本の文化を継承しているのだと思うと胸が熱くなりました。
もう一つは日系人の移住地訪問でした。ボリビアには沖縄県人移住者用のコロニア・オキナワ第1~第3と沖縄県以外の県からの移住者用にコロニア・サンファンが有り、今回訪問したコロニア・オキナワ第1のお話です。
今年で移住地への入植60年を迎え、「コロニア・オキナワ入植60周年記念祭典実行委員会」が結成され実行委員長から色々お話を伺うことができました。
入植当時、現在の国道からオキナワ入植地に入る道の整備が大変だったそうです。入植前のキャッチフレーズは“1家族に50ヘクタール提供”との移住募集があったそうです。 しかし、移住者が現地について驚いた事は、移住地が密林状態で住める環境でなかったことです。居住地、生活道路、川の氾濫対策様々な難問を乗り越え、現在も開拓途中である事。電気も冷蔵庫も無かった時に「労働が厳しい男性群に食事を提供してきたお陰で今がある」等々、涙なくして聞けない話が多々ありました。また、日本人の素晴らしいことの一つに、どんな環境であってもまず学校を作って日本の教育を考えたことです。「当時の外国人はまず教会を作り、日本人は学校を作った」との比較の話が印象的でした。
海外移住の日系人が多いブラジル、ペルー、アルゼンチン、メキシコ、パラグアイ等の中南米をはじめ、ハワイやアメリカでもそれぞれ苦難の歴史があった事は、書物や映画で知ることができますが、南米で生活する今、忘れてはならない同胞の活躍に勇気と力を与えられた素晴らしい行事に参加出来、今後の活動にも生かしたいと痛感しました。
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