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インターハイ2023

学館浦安卓球部の歴史を築いた高橋眞一。最後のインターハイで選手たちが奮闘

卓球部の歴史そのものと言ってもいいだろう。1981年に創立された東京学館浦安高校(以下:学館浦安)で初年度から卓球部監督となり、43年の教員人生を卓球部とともに過ごした高橋眞一が今年で定年となり、最後のインターハイを迎えた。

今や全国大会の常連校となった学館浦安だが、男子学校対抗出場は3大会ぶり。昨年度大会は個人戦の予選では上位を占めながら、学校対抗出場を逃した。今年は「高橋先生に定年で有終の美を迎えてもらうために、何が何でも学校対抗出場を勝ち取る」と指導者、選手、OBが一丸となってインターハイの切符を手にした。

男子学校対抗1回戦で勝利後の東京学館浦安のメンバー

ちなみに学館浦安がインターハイの男子学校対抗に初出場を果たしたのは、1988年の豊岡インターハイ。その前年、87年大会が行われたのが札幌であり、会場は真駒内アイスアリーナだった。

「札幌大会に出場できていれば、ぼくらの世代から言うとジャネット・リン(72年札幌冬季五輪・女子フィギュアスケート銅メダリスト)が舞ったところで試合ができたんですけど、結局は3年生が一番強かった翌88年の豊岡インターハイが初出場になった。インターハイというのは3年生の頑張りが大事なんです」(高橋)

3年生3名が団体戦のレギュラーとなった学館浦安、確実に勝利を挙げた七尾晃史(手前)

1回戦の福井商業戦でチームの勝利を決めた松下直樹主将

その88年豊岡インターハイで学校対抗初出場を果たした時のメンバーである日下田清が、後に卓球部監督を務め、現在では日下田の教え子である松崎達也が監督として選手たちを指導している。指導者の「代替わり」に苦労する学校もある中で、三代の代替わりを進められた「高橋イズム」とは何か。

今大会で学館浦安のベンチに入る松崎達也監督(左端)

「私が卓球部を指導する際に守ってきたものは、卓球をやるうえで、それが練習でも試合でも『うれしい』と思ってほしいということ。勝たなければいけない試合では、逃げ出したい気持ちになるかもしれない。それでも卓球ができるのはうれしいことだと、自らの環境に感謝してプレーすることが一番良い結果につながるのではないかと思います」(高橋)

学館浦安のOBは、学校の卓球部監督やプロコーチ、卓球メーカーの社員や卓球専門店の店員など数多い。卒業後も卓球に携わる人間が多いことについて、「卓球を通じて、自分の人生を豊かにしてくれているのが見受けられるのはうれしいですね」と高橋は笑顔を見せる。

「口幅(くちはば)ったいことを言うようですが、スポーツは崇高な文化活動です。卓球を通じて人間的に成長すると同時に、少しでも周りに良い影響を与えていってほしいと思います」(高橋)

卓球段位7段、ジュニアナショナルチームの海外遠征で監督・コーチなども歴任してきた高橋。今年11月で65歳の定年を迎えるが、熱血漢ぶりが伝わってきた。野球でも強豪である学館浦安の応援席で、トランペットを吹くというから驚きだ

ちなみに……学館浦安が学校対抗初出場を果たした時、団体メンバーのひとりだったのが弊誌の中川学編集長。当時の話は本人からもよく聞いていますが、果たして高橋監督の眼から見てどんな選手だったのか、蛇足ながら聞いてみました。

「正直なことを言いますが、千葉県内でもインターハイでも、彼は団体戦でたぶん一度も負けていない。くじ運が良かったということもあるかもしれないけど(笑)、精神的にも非常に安定した選手でしたね」(高橋)。「正直なことを言いますが」と言いながら、言葉を選びながら語っていただきました。

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