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世界卓球2026

チームをまとめ上げた岸川聖也監督「ぼくも選手も本気で金メダルを取りたいと思っていた」

世界選手権ロンドン大会。決勝で中国に敗れ、この男の世界選手権がようやく終わった。監督として初の世界団体を経験した岸川聖也はミックスゾーンに現れ、静かに試合を振り返った。

「試合が終わったばかりなので、悔しさの方が大きいです。1番の(張本)智和がゲームカウント2-0とリードし、第5ゲームも8-3とリードしながら勝ちきれなかった。あそこで2番に繋げられなかったのは悔しいですね。あそこを取っていれば相手にプレッシャーを与えることができた。ただ、大会全体を通して銀メダルを獲得できたことは非常にうれしく思います。(張本の逆転負けに関しては)梁靖崑は過去にもああいう逆転劇を何度も演じてきており、彼の凄さもありました。智和もそこを意識したのかもしれません。戦術よりも気持ちの問題が大きかった。オーダーが出るまで、彼が3番なのか2点起用なのか分かりませんでしたが、智和というよりも梁靖崑が凄かった。今日の中国はグループリーグの時とは別物。やはり世界一の国だなと感じました」

振り返れば、2024年12月に日本卓球協会の強化本部から男子監督就任を要請され、25年1月に正式発表。本人も監督就任は「早い」と感じていたし、関係者の間でも「口数の少ない岸川で大丈夫か」「選手とのコミュニケーションは取れるのか」と危惧する声があったのは事実だ。

しかし、監督就任後の選手との距離感は非常に理想的に見える。近すぎず遠すぎず、無駄口を叩くこともなければ、選手を傷つけることもない。何より、彼はジュニア時代からドイツ・ブンデスリーガで「プロフェッショナルとは何か」を肌で感じ、世界の強豪と研鑽を積んできた「卓球を最も知る男」である。

岸川自身、現役時代から余計なことを口走るタイプではない。周囲が「もっと自己主張すればいいのに」とやきもきする場面でも、彼は頑なにプレーで表現することを選んできた。一見「天才肌」に見えるが、その裏には中学生でのドイツ留学、そして日本代表としての栄光と挫折がある。代表から外され、納得できずに合宿に参加しなかった苦い経験もある。

そんな代表選手としての「心の機微」を知る岸川にとって、今大会を実質3人の選手だけで戦い抜いたことは、出番のなかった篠塚大登と宇田幸矢に対して、申し訳ない気持ちもあっただろう。しかし、彼は二人と言葉を交わし、チーム状況と自らの意図を説明していたに違いない。

「個人としては準備をしていた。出番はなかったが、選出された時点でチームジャパンとして金メダルを目指していた。銀メダルを獲れたことは良かったが、みんなで本気で金を目指していた分、悔しい。ただ、次に繋がる大会だった」と宇田が言えば、篠塚も「岸川さんに選んでいただいた以上、出番がないのであれば全力で応援することを心掛けていた。ベンチから見た試合は素晴らしく、自分もこの場所で戦いたいと強く思いました」と前を向いた。この経験は、二人にとって必ず糧になるはずだ。

代表監督として、世界選手権団体戦で初のメダルを手にしたロンドン大会。「現役時代とは違う感覚か」という問いに、岸川監督はこう答えた。

「全然違いますね。ぼくは現役時代、(世界卓球で)銅メダルしか獲ったことがなかった。もちろん監督として、選手の時とは違う難しさがあります。決勝に進めたことは良かったですが、ぼくも選手も本気で金メダルを取りたいと思っていた。そこは昔(現役時代)とは違う感情です」

準決勝で勝った時も、決勝で敗れた時も、岸川監督の感情の波が激しく上下することはなかった。しかし、口数の少なかった現役時代に比べれば、そのコメントは長くなり、的確な言葉が返ってくる。

2年後には彼の地元・福岡で世界選手権が開催され、そしてその夏にはロス五輪が待っている。

PHOTO  Remy Gros

 

表彰式のあとの日本男子

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