卓球王国 2024年11月21日 発売
バックナンバー 定期購読のお申し込み
全日本卓球2024

伊藤美誠、涙の会見。「このまま終わりたい気持ちもあるけれど、もうちょっと欲張って、良いところで終わりたい」

6回戦で木村香純に敗れた伊藤美誠は、試合終了から30分以上経って会見場に現れた。パリオリンピックのシングルスへの切符を失う敗戦。気持ちを整理するには時間がかかるだろう。涙を浮かべながら、それでも気丈に最後まで自分の思いを語った。

開口一番、「明日の赤マットで試合をやりたかった」と語った伊藤。昨年も6回戦で敗れ、彼女のホームグラウンドであった赤いフロアマットの上でプレーすることはできなかった。「(木村戦が)一番勝ち試合の内容だったところから、フルゲームにしてしまった。3ー3になる前に勝負をつけるべきだとわかっていて、決められなかった」(伊藤)。

木村戦は9ー3と大きくリードした2ゲーム目を落とし、ストレートで決めていてもおかしくない試合で主導権を握れなかった。最終ゲームはアンラッキーなポイントも続き、出足から一気に突き放された。

木村香純戦はゲームカウント3−1とリードしたが、中盤から主導権を握れず

昨年12月のWTT女子ファイナルズ名古屋では咳が激しく、その咳が年始になってからまたぶり返したという伊藤。肋骨を傷め、「息を吸って痛み、寝転んでは痛み」という状態から、何とか痛みを押さえて大会を迎えていた。かつては小柄なその体に満々の闘志と気力をみなぎらせていた伊藤。五輪代表選考レースの終盤になって、その体に異変が続いた。

「ここ2、3日くらいでやっと3割くらいの痛みになって、耐えて耐えて耐え抜こうと思っていたけど、最後に耐え抜くことができなかった。大きな目標であるパリオリンピックへの道は閉ざされてしまったんですけど、最後まで戦えたことは良かったです」

涙を浮かべながら、会見で自らの想いを語った伊藤

東京五輪後はしばらく次の目標は設けず、パリオリンピックという次なる目標は「卓球を楽しくやるために位置づけた目標」だった。周りのライバルたちが早々にパリに向けてリスタートを切る中、「卓球を楽しくやるためにオリンピックに出たい」という気持ちから、ようやくパリへのスタートラインに立つことができた。

それほど、東京オリンピックまでの道のりは厳しく、そこでの経験は濃いものであったのだろう。「東京オリンピックでは、歴史に残るものを作り上げたんだなと今になって感じています。もっと金メダルの余韻に浸れば良かったなと思いました」という言葉は、弱冠20歳にして歴史的なオリンピックを駆け抜けた彼女の、偽らざる実感だ。

「卓球を楽しくやるためにオリンピックに出たいという気持ちになって、いろいろやり方を変えていく中で、楽しく練習したり、試合できるようになっていった。その中で、支えてくれた『チーム・ミマ』の方々と一緒にオリンピックに行けなかったのが心残り。自分が行けないことより、チームのみんなとパリに行けないことが一番悔しいです」

シングルスのみの出場となった全日本での戦いはこれで終わった。パリオリンピックの団体3番手に選出される可能性はもちろんあるが、「ずっとシングルス優勝を目指していたし、選出されても出るかどうかはハッキリ決まっていない」とコメント。「まずは落ち着いて、どこまでやるかを考えたい」と語った。パリオリンピックのシングルス選考ポイントのランキング4位までの選手には、2月の世界選手権団体戦の出場権も与えられるが、それも含め、今後については白紙の状態だろう。

女子シングルス6回戦の終了後、ラケットを仕舞う伊藤。全日本での戦いが終わった

「私は昔からの目標として、卓球は『良いところで終わる』というのが一番なんです。『これで終われない』という気持ちもすごくあるけれど、『終わりたい』という気持ちもあります」。そう言って少しだけ間をおいた後、伊藤はすぐに言葉を繋いだ。「でも良いところで終わりたいから、もうちょっと欲張って、もう少し頑張ります」

今は「もう少し頑張ります」という彼女の言葉を信じて、その選択を見守るのみ。オリンピックでの金・銀・銅のメダル獲得、世界選手権の団体決勝・中国戦トップでの勝利、中国のトップ選手を連破してのワールドツアー優勝。日本の卓球史を塗り替え、多くの夢を見せてくれた伊藤美誠の功績を、日本の卓球人は忘れてはならない。

★全日本卓球2024現地リポート特設サイトはこちら

関連する記事