今大会、開幕直前にインフルエンザに感染し、21日にチームに戻り、2試合だけベンチに入り、戸上隼輔の世界卓球は終わった。一夜明け、記者たちの前に現れた彼は静かに話し始めた。今までの五輪代表選考会や全日本選手権などで戦う男の眼ではない。まだ体重も戻っていない。
「昨日は乱打、引き合いとか、軽く20分ほど練習。今日はフットワーク練習も始めました。昨日の中国戦はほぼ一卓球ファンとして応援していた感じで、みんなが良い試合をして中国に迫っているのも実感できたし、良い刺激をもらいました」
昨年11月の五輪代表選考会でほぼ代表候補を確定させた戸上。そこでいったん気持ちをリセットした。国内で勝ち抜くことから、その視線を五輪の舞台に向けていた。思えば、それまでの2年間の五輪代表争いは、戸上にとって、彼自身の体との戦いだったかもしれない。五輪代表選考レースが佳境を迎える6月のツアーの時に体調を崩した。極度のストレスに襲われていた。7月の五輪代表選考会の時には「棄権するのでは」という声が聞こえてくるほどに体調不良に陥っていた。実際にコートに立つのも辛い状態だったが、気力で決勝まで進んだ。あまりの疲労と不調で、決勝後のインタビューは中止になった。
今年に入り、1月の全日本選手権では球史に残る激闘の決勝を張本智和と戦った。敗れたとは言え、戸上の卓球のポテンシャルの高さを見せつけた。30位から40位までを行きつ戻りつしていた世界ランキングも気がつけば23位まで上げている。10位台に上がるのも時間の問題だろう。
そして、今回の世界卓球は戸上にとって、7月のパリ五輪に向けた格好の試金石となる大会になるはずだった。誰もがそう思っていた。
しかし、そんな彼をインフルエンザが襲い、彼はホテルの部屋で高熱に耐えながら解放される日を待っていた。そして、一度もコートに立つことなく、ベンチから応援の拍手を送っていた。昨夜は、チームメイトが中国に対して、魂を揺さぶるようなプレーを見せた。彼はともに戦っていた。パリで再び戦うかもしれない中国に対して。
「歯がゆい気持ちはもちろんありました。自分があの舞台に立って良い試合ができるかどうかは正直分からないですけど、(中国戦で日本選手の)一人ひとりが最大限の力を発揮して、みんなそれぞれ1ゲームを取ったし、勝つチャンスも見えた試合だった。正直悔しい気持ちはあったけど、負けていられない気持ちも芽生えてきた」
応援しながらも戸上は自分自身が中国選手と対峙する姿をチームメイトに重ねていた。「まだオリンピックに出場した経験がないのでどういう舞台かイメージできないけど、いざ中国選手と対戦した時に自分がどれだけ力を出せるのかというイメージをしていました」。
試合でプレーする選手がベンチに座っているのと、応援だけで座る選手では視点も違う。
「ぼくらも中国選手もお互いが成長している、なんかリードしていてもなかなか大事な局面で1点を取らせてくれない中国の強さを見ていて感じました。回転や攻撃の質も以前よりも上がってきている。日本も警戒されていると思うし、それに立ち向かっている日本はすごいなと感じました」
「2年前の中国と対戦した時よりも、自分の両ハンドのドライブは以前と比べられないほど成長している。ただ、大事なところでの1点を取れるのかどうか、それを取れれば勝てる。やってみないとわからない。
王楚欽選手は大事な局面で、張本選手に対してチキータされないようなサービスを出したり、サービスの引き出し、ラリーでも1ゲーム目を取られた後にラリーをさせないような2ゲーム目の戦術の組み立てと転換だった。それは取り入れていきたい」
3月からは戸上の故郷、三重県に本社を置く菓子・食品メーカーの「井村屋」がメインスポンサーになることが決まっている。パリ五輪を前にして本格的なプロ活動が始まっていく。
「井村屋さんにスポンサーになっていただき、オリンピックイヤーで世界でともに羽ばたいていきたい」と語った戸上。
ラケットを持ちたくても持てなかった。チームメイトのプレーをパソコンの画面で見つめた時間。そして、出場できなくてもベンチに座り、応援の声を飛ばしたセンターコートのまぶしさ。戦いたくても戦えなかった釜山をもうすぐ後にする戸上隼輔。
WTTスマッシュなどの国際大会を経て、真夏のパリで日の丸をつけて戦う男。今回の歯がゆさ、悔しさ、その経験をぶつけるのは5カ月後。7月27日のパリ南アリーナ4。
戸上隼輔よ、パリのセンターコートが君を待っているぜ。 (今野)
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