ある時、筆者が御内選手と食事をしている時に「攻撃型でも十分強かったのに、なんでカットマンになったの?」と聞くと、想像していなかった答えが返ってきた。
「王子クラブで練習している時に、かっこつけてすぐに下がってロビングばかりあげていたんです。そうしたら作馬さんに『なにやってるんや。次ロビングしたらカットマンやからな』って何度も叱られていて、それからしばらくロビングをやめていたんです。でも、ある時の練習で相手のボールがネットインして、それを必死に取りにいったらボールが高く浮いてしまったんです。
作馬さんはネットインの瞬間は見ていなくて、その高く上がったボールを見てしまったようで、「ロビング上げたな。今からカットマンになれ」と。それで本当にそこからカットマンになりました。中学1年の時でした」(御内選手)
嘘のような本当の話である。
もし、その時の練習でボールがネットインしていなかったら…。そのネットインを御内選手が追いかけていなかったら…。もっと言えば、「その瞬間」を作馬氏が見ていなかったら…。カットマン・御内健太郎は生まれていなかったのかもしれない。
作馬氏はもともと粒高ラバーの異質攻撃型やカットマンの育成に長けていて、世界選手権でメダルを獲得した武田明子や福岡春菜という選手を育てている。御内選手もすぐにバック面に粒高ラバーを貼られて、カットの練習を始めた。最初はうまくいかなかったカットも、持ち前の運動能力の高さと器用さが相まって守備範囲は日に日に増していった。また、試合でカットが通用しない相手には「ほぼ攻撃して勝っていましたね(笑)」と中学時代を振り返る。
作馬氏も、上宮高校時代の恩師である河野正和監督(当時)も「カットだけでなく、攻撃をどんどんしていい」という指導をしてくれたのも大きかった。
御内選手は上宮高、早稲田大とトップ校で数々の全国入賞を果たし、大学卒業後にシチズン時計に入社。最後となった今シーズンは選手兼監督として奮闘。部員4人で団体戦を戦い抜き、シチズン時計を前期日本リーグとJTTLファイナル4の優勝に導いた。
筆者は個人的にも御内選手のプレーが好きだった。格上にも、格下に対しても常に全力でプレーし、フェンス際から何本も相手の強打をカットでしのぎ、前に落とされたボールを飛び込みながらドライブで決めるといったファインプレーを続出し、会場を沸かせた。爽やかで甘いマスクを持ち、フェアプレーも印象に残る。彼の口からは、負けた後に言い訳や相手をなじるような言葉は一度も聞いたことがない。
高校時代から今日の最後の試合まで、控えめに言っても彼のプレーから何十回となく感動をもらい、心が熱くなった。ありがとう、御内。もうあなたのプレーを見ることができないと思うと、さびしいよ。長い間、お疲れさまでした。
卓球王国・編集長/中川学
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