今大会の中国にとって初の金メダルとなった混合ダブルスの王楚欽/孫穎莎王楚欽/孫穎莎ペア。優勝を決めた直後に、国旗を持ってコート内に入っていった中国ペアだったが、そこに殺到した多くは中国系メディアのカメラマンで、ほとんど制御不能状態に陥っていた。
そしてベンチに戻った王楚欽が見たのは自身の折れたラケット。この瞬間に優勝の喜びが半減したに違いない、なぜなら卓球選手にとってラケットは命。選手はスペアラケットを用意しているとはいえ、それぞれのラケットで感覚が違うのだ。
この「ラケット破損事件」の問題は3つある。
ひとつはカメラマンの問題だが、良いポジションで撮影しようとするカメラマンは足元を見ないでベンチに殺到する。床に何があるかなど気にしない。とはいえ、オリンピックでは写真撮影のポジションにはルールがあるのだから、そのルールを守らなかった。わかっていても、誰か一人が入っていったらなだれ込んでいくカメラマンの職業的な群衆心理だ。
2つ目は会場係。オリンピックの会場にはフロア、特にカメラマンを制御するフロアディレクター、メディア担当ディレクターという係の人が必ずいるのだが、その人がカメラマンを制止できなかった。特に優勝を決めた直後はいつもこのようにカメラマンが殺到するのは予測できたので複数の人やボランティアで制止線を守らせるべきだった。運営者側の落ち度と言われても仕方がない。
3つ目は選手本人だ。優勝を決め興奮状態とはいえ、大事なラケットをもし床においていたとしたら選手の落ち度。しかし、映像を見るとコーチに渡し、そのままコーチがキャリーケースに置いて、そこをカメラマンが踏みつけたようだ。想定外のこととはいえ、ラケットケースにしまうべきだったのか。だが、優勝直後の選手を責める気にはなれない。
同じラケットスポーツでも、テニスやバドミントンではガットが切れて試合中にラケット交換をするのは珍しくはない。しかし、卓球ではめったにないことだ。テニスやバドミントンのようにメタル製のフレームにガットを張っている競技ではなく、ラケットは木材を中心(ルール上、ラケット本体の85%以上は木材を使う)とした天然素材で、その上にゴムのラバーを貼るのが卓球だ。
ラバーの個体差は小さいのだが、ラケットの微妙な感覚は1本1本違うと言われていて、選手が大会期間中にラケットを変えることはほとんどない。中には、数カ月以上、もしくは1、2年以上、同じラケットを使い続ける選手も多くいる。それだけ微妙な打球感覚を選手たちは持っている。
だからこそ、王楚欽はスペアラケットを使い慣れていれば良いのだが、打球感が違っているとストレスに感じるだろう。
選手によって、用具に非常に神経質になる人もいればそうでない人もいる。神経質な人は重さ1gやグリップの形状の違いに敏感に反応する人もいる。特にグリップは汗を吸い込んだり、使っていくうちに微妙に変質するからだ。
一方、過去にはこういう事例もある。1989年世界選手権で優勝候補だったスウェーデンのワルドナー選手が練習会場で置いていたバッグを盗難され、その中にはラケットとスペアラケットも入っていた。しかし、彼は同僚が持っていた他ブランドのラケットでプレーして、見事その大会で優勝した。関係者の間ではワルドナーの強さもさることながら、自分のラケットではない他人のラケットを使い優勝したことで評価がさらに高まった。
王楚欽は日本時間の5時からシングルスの試合を戦う。金メダル候補だけに、「ラケット破損事件」がストレスになっているのか、それともそれを乗り越えて戦うのか注目を集めている。
ツイート
[Goods Story 福岡春菜]メダリストが使った先輩のスペアラケット
【伝説のプレーヤーたち】川井一男 前編「それでカチンと来てね、専修大に行くことに決めちゃったんです」
The Final 全日本卓球2024 戸上隼輔「勇者への試練」
全日本社会人チャンピオン 松平賢二「諦めたら終わりだ」
ラケット振動の謎に迫る〈後編〉複数の振動がラケットの“個性”を決める
【逆襲の30s】 30代の底力「年齢なんて関係ないぜ!」前編
【今枝流 勝者の思考学】第2回「自分が使える技術をはっきりさせることで、使える戦術もはっきりしてくる」
[アーカイブ・女王の独白/後編]丁寧「最終的には選手本人が今の自分に何が足りなくて、何をすべきかというのをわかっていないと世界のトップには行けない」