卓球と仕事を両立している実業団のトップ選手にとって、避けることができないのが「現役引退」だ。いつかラケットを置き、プレーヤーとしての第一線を退いて仕事に専念する日がやってくる。その最後の舞台を全日本選手権にする選手は少なくない。
それは全日本が1年を締めくくる大会であり(長く12月に開催されていた経緯がある)、日本の卓球選手、卓球ファンにとって特別な大会であるからだろう。ヨーロッパ各国では国内選手権にトップ選手が参加しないことは多く、彼らから「なぜ、日本の選手は国内大会にそんなに力を入れることができるんだ?」と何度も聞かれたことがある。考え方や文化の違いもあるが、全日本が私たちにとって特別な大会ということは永続的に変わらないだろう。
その全日本を最後にラケットを置くことを決めていた御内健太郎(シチズン時計)は、男子シングルス3回戦で坂根翔太(関西卓球アカデミー)にフルゲームのジュースで敗れた。御内選手は男子シニアのトップでは希少なカットマン(攻撃力は攻撃型並みの威力!)で、フィジカルを生かした広い守備範囲のカットと中、後陣からのドライブの逆襲など「華のあるプレー」を見せる選手。1990年代から2000年始めにかけて活躍した松下浩二、渋谷浩(ともに全日本チャンピオン)という2人の凄腕カットマンが引退後、男子シングルスではカットマンが全日本でランク入りすることは至難の業になったが、御内はこれまで3度ランク入りを果たしている。
卓球通の方ならばご存知だろうが、御内選手はカット技術も一流だが、サービスとドライブのレベルもトップクラスの攻撃型と同等の技量を持つ。ジュニアなど今のカットマンは攻撃がうまい選手もいるが、33歳という御内選手の世代で彼ほどの攻撃力を持つカットマンは見当たらない。なぜこれほどまでに攻撃ができるのか。その理由を紐解くには、彼の子ども時代までさかのぼらなければならない。
大阪府出身の御内選手は6歳から卓球を始め、最初はシェーク裏裏の攻撃型だった。小学校高学年になると全国大会でも頭角を現すようになり(もちろんショーク裏裏で)、より強くなりたいと天王寺にある「王子卓球クラブ」にも通うようになる。この王子クラブで指導をしていたのが、数々の名選手を育てた作馬六郎氏である。
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